アマチュア無線の幕開け


 "We have the honor of informing that we amateurs in Japan have organized today the Japanese Amateur Radio League. QST to all station."

 世界で最初のアマチュア無線家はアメリカのアーヴィング・バーミリャという技術者が1912年暮れ、許可を受けて開局したという説が有力です。わが国に国際的なアマチュア無線が誕生したのは、大正14年(1925年)秋、笠原功一氏(神戸市本山通、JFMTのち3AA、JXIX、J3DD,J1EZ、J2GR、JA1HAM)が、梶井謙一氏(大阪市此花区、当時のコールはJAZZのち3AZ、J3CC、JA1FG)と神戸・大阪間20kmの距離を波長300mで電信による交信に成功したのがその歴史の始まりです。その後阪神間のグループが波長35m〜37mの電信にて送受信を始めました。

  一方、東京ではグループの形ではなく、最初は個人によって同じような動きが生まれ、これを順次電波が仲介してリレーするような形で大きなグループに発展していきました。このグループが用いた波長は、最初は80mでしたがのち42m見当に変わりました。大阪と東京とのグループは、このようにお互いの存在を知らずに、おのおの異なった波長でグループ内での通信実験に終始していましたが、あるとき東京の1局が試みに波長を短くずらしてみたら思いがけず関西のグループを発見してこの2者の交信が成立しました。時は大正15年3月5日のことでした。

  この最初の交信は、神戸・谷川譲氏(3WW、J3CD)と東京・仙波猛氏、(1TS、JXBX、J1DA))との間で行われ、こうして東西が合流してからは、グループの拡大は急速に進みました。この直前に関東では、外国局が神戸の笠原功一氏の局3AAを呼ぶのを聞いて日本のどこかに自分達以外にアマチュア局があること知り、恐らく関西ではないこと想像していたといいます。この大正15年は前年末の神戸-大阪間の初交信成立の勢いをかって、送信機の改良や受信機の再検討を続け、彼らの交信圏は急速に拡大していき、手近のフィリピンから北米、豪州、ニュージーランド、インド、南米、南アフリカと順次広がっていきました。

  こういった状況の中で、日本アマチュア無線連盟はできあがっていきました。すなわちこの年の4月、関西から上京した笠原功一氏・草間貫吉氏・梶井謙一氏の3名は関東側の仙波猛氏・磯英治氏・宮崎清俊氏(1KM)のメンバーと相談して、アマチュア無線団体の結成を決意し、東西が相互に呼びかけ設立の準備を始めました。この間、東西の連絡に最強の通信手段としてお手の物の無線通信が用いられたことは特筆しなければなりません。
当初の予定では、日本アマチュア無線連合(Japan Amateur Radio Union)と称することとしていましたが、当時無線と実験社がラジオ・ファンの集合団体を提唱し、これに同じ名を付けていたのでやむなく発表の数日前に無線による打ち合わせで、ユニオンをリーグと改めることとし、現在のJARLの名が決まりました。
  そして6月12日の夜、このことを全世界に知らせるべく、全連盟員の送信機は上記の設立宣言文を電信で放送したものです。

  この電文は、ちょうど全世界をこだまするように世界のアマチュア局を次々と伝電されていきました。そして、アメリカのアマチュア無線誌QSTを始め、各国のラジオ雑誌によって一般にも伝えられたました。こうして今のJARLの前身が生まれたました。この時の盟員は、37名でした。

  あれから80年の時の流れ経て、今を迎えましたがときめくような創生期に思いを馳せれば、たぎるような情熱が伝わってきます。はたして、今の私たちがアマチュアの志を忠実に実行し、伝承されてきたアマチュア文化を誠実に守り続けることが出来るのか・・そして、最も受け継がなければならないアマチュア無線の豊な創造性を無くしてはいないか、ふり返ってみる必要を感じます。「温古知新」の諺を思い起こし、忘れかけたアマチュア無線家の情熱を呼び戻しながら進歩的な21世紀を歩みたいと願っています。

 そしてこの翌年秋に草間貫吉さんが日本で第1号の免許を受け正式にアマチュア無線家になりました。その時のコールサインはJXAXで、私と同じ神戸に住んで居られた草間さんに生前お会いしています。実はその年の3月に有坂磐雄(JLYB)さんと、楠本哲秀(JLZB)さんの2人に、すでに免許が下りていましたが、彼らは軍人や免許を与える側のお目付役だったこともあり、この二人をアマチュア無線の最初であると認めるかについては異論もありました。いまから振り返れば同じ電波を使う仲間であることに変わりはありません。
 大正の末ごろから先進的な人たちが思い思いに電波を出していたというおおらかな時代から、その後色々な人が実験を重ね今の電子立国の礎をつくりました。一つの例ですがソニーの創業者で有名な井深さんもある意味アマチュア無線家の仲間で後に日本のエレクトロニクス業界を引っ張っていく象徴的な人であった訳で、多くの志によって今の電子日本ができあがったのです。