JARL年表

 JARL創立50年を記念し、見事な記録誌が発刊されている。その後続編、そして第V刊が発行されているが、全巻をお持ちの方は意外と少ないのではないかと思う。続、Vは惰力で発行されたようでもあるがその中でも創立50年誌は圧巻である。特に黎明期の先人の記述は必読に値する。何度読んでも飽きないくらい、ほとばしる情熱と先進性を感じるのは何故だろうか。

 近年ここに登場する先人たちがこの世を去り、やがてこの事実も遠い昔話になるだろう。ただ我々の務めは歴史と文化を正しく申し送ることであり日常的に語りあい、思い起こすことも大切だと感じる。ここに、CQ出版から刊行されたJARL70年間の歴史の年表部分をご紹介したい。


天保2年 1831年 -ファラデー(イギリス)電磁誘導の法則をつくる。
天保8年 1837年 -モールス(アメリカ)モールス符号を完成。
元治1年 1864年 -マクスウェル(イギリス),電磁波の存在を理論的に提唱。
明治21年 1888年 -へルツ(ドイツ),電磁波の存在を実証。
明治34年 1901年 -マルコーニ(イタリア),大西洋横断無線電信の実験に成功。
明治35年 1902年 -ケネリー(アメリカ)、へビサイド(イギリス)が殆んど同時に電離層の存在を予言。
明治37年 1904年 -フレミング(イギリス),二極管を発明。
-イギリスで無線電信法が制定される。
明治39年 1906年 -ド・フォレー(アメリカ),三極真空管を発明。
大正1年 1912年 -アメリカで無線法(Radio Act)ができ、アマチュアの実験は200m(1,500kHz)以下と規定される。
大正3年 1914年
5月18日 ARRL設立、会長にH.P.マキシム氏が就任、ARRLから”List of Stations”が発行される。収載局数400。
大正4年 1915年
11月1日 日本で無線電信法施行される。
12月 ARRL機関誌「QST」創刊。
大正6年 1917年 -アームストロング(アメリカ),スーパーヘテロダイン受信方式を発明。
大正9年 1920年
11月2日 アメリカKDKA局によって初のラジオ放送開始。
大正11年 1923年
2月 浜地常康氏(発明研究所)に日本で個人としての最初の私設実験局が免許。
大正12年 1924年
11月27日 アメリカの1MO、フランスの8ABによってアマチュアにより初の2Way QSOが大西洋を横断して行なわれた。
大正13年 1924年
2月 矢木太郎、中川国之助氏らが、それぞれ別に200m(1,500kHz)付近でA3の交信を始める。-雑誌「無線と実験」、「無線の研究」創刊。
大正14年 1925年
3月22日 東京放送局(JOAK)放送開始。日本でのラジオ放送の最初。
4月 第1回国際アマチュア会議がフランスのパリで開かれ、IARUが創立される。会長はマキシム氏。参加国25カ国といわれ、日本も参加しているが詳しい事は不明。
4月 逓信省岩槻無線局(J1AA)、80m(3.5MHz)A1でU6RW(アメリカ)と交信。日本と外国との最初の短波通信。秋頃、梶井謙一氏と笠原功一氏が阪神間20kmを中波(300m、1,00OkHz)の交信に成功する。
12月 逓信官吏練習所(J1PP)、35m(8.6MHz)のA3でサイゴン、ブラジル、北米と交信。日本の短波電話通信の始まり。
大正15年 1926年
3月 別々に発生していた関東と関西のアマチュアの間に交信ができる。関東は仙波猛氏、関西は谷川譲氏、波長40m(7,500kHz)。
6月 日本アマチュア無線連盟設立。盟員は37名、設立宣言を全世界に打電する。-八木秀次、宇田新太郎の両氏が八木アンテナを発明。
昭和2年 1927年
1月 雑誌「無線の研究」がJARLの最初の機関誌となる。
3月1日 有坂磐雄氏(JLYB)、楠本哲秀氏(JLZB)に個人として初めての短波実験局の免許がおりる。
9月10日 草間貫吉氏(JXAX)に私設実験局の免許が下りる。以後JXIXまで8局の免許がおりる。
昭和4年 1929年
1月1日 コールサインが改変され、日本本土、植民地がJ1〜J9と地域ごとに分割される。同時に波長の表示が周波数表示に変わる。
4月 「無線の研究」に代わって、「ラヂオの日本」にJARLの頁が設けられる。
6月 独立した機関誌として「JARL NEWS」が関西で発行される。
昭和5年 1930年
1月 笠原功一氏(J3DD)が、日本で初のWAC No.339を取得。
昭和6年 1931年
4月3日 JARL第1回全国大会が名古屋市中村公園内記念会館で開催。出席者30余名。
12月 「JARL NEWS」が活版となり、発行が関東へ移る。同時に「ラヂオの日本」の連盟の頁は廃止。
昭和7年 1932年
1月 宮井宗一郎氏(J3DE)によって「実験局名簿」が発行された。
3月2日 関西で防空演習のための通信訓練を実施。
4月 大阪の白木屋百貨店で開催の”電気科学博覧会”で短波実験局の公開実験を行なう。
4月29日 JARL第2回全国大会が東京・レインボーグリルで開催。
昭和8年 1933年
7月22日 東京で愛国無線通信隊が組織され、8月の関東地域防空演習に参加。
10月14日 日本最初のYL局杉田千代乃氏(J1DN)開局。
11月 P.O.Box377が設けられた。
昭和9年 1934年
2月1日 J1のプリフィックスはJ2となり、同時に電話の局の呼出名称が廃止され、コールサインが指定された。
2月 「JARL NEWS」自営発行となる。
3月2日 函館大火で田母上栄氏(J7CG)により、わが国初のアマチュアによる非常通信実施。
4月1日 JARL第3回全国大会が大阪・電気クラブで開催。
9月27日 W2BSRの提案によるRSTシステムがARRL HQ Stn.W1MKで採用された。
12月 JARLのIARU加盟がカレンダーNo.13で承認された。当時の盟員数は152名であった。
昭和10年 1935年
4月28日 第4回全国大会が名古屋・蒲郡ホテルで開催されJARLマークが決定された。
10月20日 斯波邦夫氏(J2HJ)は世界第3番目の28MHzWACを完成。
昭和11年 1936年
4月3日 第5回全国大会が東京・山王ホテルで開催。
昭和12年 1937年
4月3日 第6回全国大会が大阪・ガスビルで開催。-ARRLがDXCCを制定した旨を「JARL NEWS」No.66(9,10月合併号)が報じた。
12月10日 満洲国短波アマチュア無線連盟(MARL)が結成された。
昭和13年 1938年
-堀口文雄氏(J5CC)はわが国初のDXCCおよびWASを完成。
4月3日 愛知県鷲津(浜名湖畔)で第7回全国大会開催。
昭和14年 1939年
4月2日 東京・第一ホテルで第8回全国大会開催。
昭和15年 1940年
-堀ロ文雄氏(J5CC) はわが国最初(世界で2番目)のWAZを完成した。
4月28日 第9回全国大会が大阪・染工聯会館で開催。
昭和16年 1941年
4月29日 JARL創立15周年記念大会が、東京・新橋の蔵前工業会館と目黒雅叙園で開かれた。
12月8日 太平洋戦争が始まり、開戦と同時に私設実験局は使用の停止を命ぜられた。5月に「日本アマチュア無線聯盟報」と改題した「JARL NEWS」はNo.96をもって発行を中止した。
昭和20年 1945年
3月10日 東京大空襲により香取光世氏(J2OV)宅のJARL本部が焼失し、JARL戦前の記録が失なわれた。
8月15日 太平洋戦争が終結した。
9月18日 閣議決定で国民の短波受信の禁止が解除。
10月3日付 放無第31号という文書が東京逓信局から発せられ、アマチュア無線再開についての意見が求められた。
昭和21年 1946年
8月11日 東京・新橋の蔵前工業会館でJARL再結成全国大会が開かれ、会長に八木秀次氏、理事長に矢木太郎氏が就任した。
9月 「CQ ham radio」がJARL機関誌として創刊された。
昭和22年 1947年
10月19日 戦後第2回のJARL総会が東京工大で開かれ、定款と規則が決められた。 、
昭和23年 1948年
6月 べル電話研究所(アメリカ)でトランジスタが発明された。
8月15日 第3回JARL総会が東京工大で開かれ、会長に草間貫吉氏、理事長に大河内正陽氏が就任した。
11月 SWLナンバーの割当てが開始された。
昭和25年 1950年
4月 電波3法が国会を通過、成立した。
5月 JARL創立以来最初のアワードHAC証が制定された。
6月1日 電波法が施行された。
昭和26年 1951年
6月 アマチュアバンドの割当てが決定した。
6月26、27日 第1回アマチュア無線技士国家試験が施行された。合格者は1級47名、2級59名であった。
昭和27年 1952年
3月11日 GHQは日本政府に対し「アマチュア無線禁止に関する覚え書」を解除した旨通告。
7月29日 全国の免許申請者30名に予備免許がおりた。
11月23日 再開後初のJARL総会が東京工大内「角笛」で開かれた。
昭和28年 1953年
-関東、東海、関西、東北の4支部に加えて北海道、九州、四国、中国、信越、北陸の各支部が設立され、10エリアに支部ができ上がった。
2月 NHK TV(東京)が本放送を開始した。
5月 3.5MHzのスポット割当てが追加された。
5月5日 第1回QSOパーティーが行なわれた。
6月26日〜7月2日 北九州・熊本地方の水害で電波法令施行後初の非常通信が行なわれた。
7月25〜26日 第1回VHFコンテストが行なわれた。
11月22日 JARL総会が東京駅・レストラン東京で開かれ、梶井謙一氏(JA1FG)が理事長となった。
昭和29年 1954年
11月7日 JARL総会が名古屋・中部日本新聞社で開かれた。
12月3日 3.5、7MHz がバンド指定となった。
12月 JARL事務局が東京都文京区西丸町19へ移転した。
昭和30年 1955年
1月7日 1月7日付書簡でJARLのIARU復帰が承認された。
9月25日 JARL総会が大阪・朝日新聞社講堂で開かれた。
昭和31年 1956年
1月22日 根岸秀忠氏(JA1AHS)は50MHzでVK4NG(オーストラリア)と交信した。超短波による初の海外との交信であった。
3月24日 大島保男氏(JA6FR)が50MHzでLU3EX(アルゼンチン)と交信、18,240kmの世界DX記録を作った。
7月1日 第3回国際地球観測年(IGY)観測開始。
11月4日 JARL総会が東京・日本赤十字社講堂で開かれた。
昭和32年 1957年
10月4日 ソ連が人類初の人工衛星の発射に成功、アマチュア無線により20MHz、40MHzの電波観測が行なわれた。
11月24日 JARL総会が名古屋市・商工館ホールで開かれ、JARLを法人とすることを決議した.
昭和33年 1958年
3月23日 大島保男氏(JA6FR)はPY3BW(ブラジル)と50MHzで交信、19,810kmと世界DX記録を更新した。
5月6日 電波法の一部を改正する法律が公布され、電信級・電話級アマチュア無線技士の資格が誕生した。
昭和34年 1959年
4月 初の電信・電話級アマチュアの国試が施行された。
昭和34年 1959年
6月28日 社団法人JARL創立総会が東京・日本赤十字社講堂で開かれた。初代会長に梶井謙一氏(JA1FG)が就任した。
12月25日 社団局(クラプ局)が制度化された。
昭和35年 1960年
5月29日 第2回通常総会が東京・日本赤十字社講堂で行なわれた。
8月27〜29日 第1回オールアジアコンテストが行なわれた。
昭和36年 1961年
3月3日 JARLサブバンドを制定する。
4月10日 2級に全アマチュアバンドが、電信・電話級に21、28MHzバンドが使えるようになった。
5月28日 第3回通常総会が大阪・朝日新聞社講堂で開かれた。
6月22日 沖縄に初の日本人局として石橋勇氏(KR8AB)が免許された。
12月12日 アマチュア人工衛星オスカー1号が打上げられた。
昭和37年 1962年
5月27日 第4回通常総会が名古屋市公会堂で開かれた。
7月29、31日 東京・新宿厚生年金会館でアマチユア無線再開10周年記念式典と祝賀会が開かれた。
昭和38年 1963年
2月7日 発行の「JARL NEWS」No.257からタブロイド判新聞型式となった。
5月26日 第5回通常総会が金沢市金沢ビルで開かれた。
12月9日 JARL事務局は東京都豊島区巣鴨1-26 CQビルに移転した。
昭和39年 1964年
1月16日 430〜440MHzの割当てが決った。
4月4日 1,880kHzの割当てが決った。
5月24日 第6回通常総会が仙台・東北電子学院で開かれた。
12月12日 名誉会員笠原功一氏(JA1HAM)が逝去された。
昭和40年 1965年
5月23日 第7回通常総会が岡山市・山陽新聞社大ホールで開かれた。
6月2日 電波法の一部改正により養成課程講習会制度が発足した。
昭和41年 1966年
3月13日 初の養成課程講習会が開かれた。
5月22日 第8回通常総会が東京・新宿厚生年金会館で開かれた。
6月9日 1.8MHz帯に代わり1.9MHz帯として1,907.5〜1,912.5kHzが割当てられた。
昭和42年 1967年
2月 アマチュア無線コードが制定された。
5月21日 第9回通常総会が北九州・八幡製鉄体育館で開かる。
昭和43年 1968年
4月12〜15日 オーストラリア・シドニー市で初のIARU第3地域会議が開かれ、日本代表として梶井謙一氏(JA1FG)溝口皖司氏(JA1BK)が出席した。
5月26日 第10回通常総会が札幌市・共済ビルホールで開かれ、村井洪氏(JA1AC)が会長に就任した。
昭和44年 1969年
3月 FM本放送開始。
5月 小笠原諸島・南鳥島が別カントリーとなった。
5月25日 第11回通常総会が東京・渋谷公会堂で開かれた。
8月29〜31日 小笠原父島にDXぺディションが行なわれた。
昭和45年 1970年
3月15日〜9月13日 万国博会場にJA3XPO局が設置された。
5月24日 第12回通常総会が奈良市・県文化会館で開かれ、原昌三氏(JA1AN)が会長に就任した。
昭和46年 1971年
1月18日 7MHzのアマチュア無線を一斉に停波し、侵入電波の調査を行なった。
3月17〜21日 第2回IARU第3地域会議が東京・全共連ピルで開かれた。
5月23日 第13回通常総会が諏訪市・北沢会館で開かれた。
9月1日 JARL、V・UHF帯利用区分(チャンネルプラン)を施行する。
昭和47年 1972年
2月3〜13日 札幌オリンピック冬季大会にJA8IOC局が設置された。
5月15日 沖縄が本土復帰し、プリフィックスKR8はJR6となった。
>5月28日 第14回通常総会が松山・松山市民会館で開かれた。
7月29日 アマチュア無線再開20周年記念式典が東京・赤坂プリンスホテルで開かれた。
昭和48年 1973年
5月27日 第15回通常総会が栃木.足利市民会館で開かれた。
7月29日 「アマチュア無線の日」と定めた。
10月1日 「JARL NEWS」が新聞型式から雑誌型式となって発行された。
昭和49年 1974年
5月26日 第16回通常総会が名古屋市・愛知県勤労会館で開かれた。
昭和50年 1975年
1月17日 3.5MHz帯に加え、3,793〜3,802kHzの追加割り当てが決まった。
3月4〜10日 第3回IARU第3地域会議が香港で開かれ、原昌三氏(JA1AN)他、JARL代表が出席した。
4月12,13日 第1回全日本ハムベンションが富士山麓朝霧高原グリーンパークで開かれた。
5月25日 第17回通常総会が島根・出雲市体育館で開かれた。
8月30日 隈本堯氏(JA6DR)はW6POとEMEによる交信に成功した。
10月2日 松本得朗氏(JA7AO)が世界初の6バンドWACを獲得した。
昭和51年 1976年
1月1日 アマチュア無線による宇宙無線通信の業務が郵政省の省令改正(昭和50年12月1日公布)により明確化され、通信事項に字宙無線通信の業務を記載することが必要となる。
1月1日 JARLは新V・UHF帯使用区分の第l段階を実施し、50およびl44MHz帯のFMナロー化(40?16kHz)をはかった。
1月l9日 八木宇田アンテナの発明者で、元JARL会長の八木秀次博士が逝去、享年89歳。
1月24日 郵政省告示によりSSTVやRTTYなど送信機の付属装置が軽微な変更として届出で使えるようになる。
1月26日 JARLの養成課程の実施方法に対し、郵政大臣より警告がなされ、改善にのりだす。
2月1日 IARU(国際アマチユア無線連合)第3地域連合第3回総会(1975年香港)の決定にもとづき、同連合の機関誌「Region3News」第1号がJARLにより発行された。
3月7日 JARL会員数67,665名
4月16日〜17日 IARU世界会議がアメリカのマイアミ・ビーチで開催され、25か国より約80名が出席。JARLからは会長原昌三氏(JAlAN)が出席。WARC-79(世界無線通信主管庁会議)に向けての対処方針が話し合われた。
5月22日〜6月7日 JARLは創立50周年を記念して沖ノ鳥島DXぺデイション(団長有坂芳雄氏JA1HQG他9名)を実施。7J1RLの呼出符号により73カントリー、8,931局と交信した。折からの200カイリ問題もあり、一般にも話題となる。なお,アメリカの連盟ARRLは沖ノ鳥島をDXCCのニューカントリーとして認め、7J1RLのクレジット受付けを9月1日から開始した。
5月30日 JARL第18回通常総会を富山県高岡市の「高岡市民会館」において開催。約1,000名が出席。会長に原昌三氏(JA1AN)、副会長に岡本次雄氏(JA1CA)、神戸幸生氏(JA2JA)、専務理事に内山敏明氏(JA1LR)が就任した。なおこの総会より、それまで恒例であった総会後の抽選会が行われなくなった。
7月10日〜11日 JARL主催6m and Downコンテストの開催時間が今回より3時間短縮され18時間となった。
9月23日 JARLは東京都文京区の「椿山荘」において創立50周年記念式典を挙行し、功労者255名を表彰。海外10か国からl2名の来賓を加えた約400名が出席。式典後の祝賀会には常陸宮ご夫妻をお迎えし、約300名参加のもとに開催した。
9月25日〜26日 第2回全日本ハムベンションが静岡県・朝霧高原において開催され、JARLは創立50周年を記念しこれを後援。26日には三笠宮宜仁親王殿下がご来臨。また記念局8J2HAMが運用された。
9月26日 JAMSAT(日本アマチュア衛星通信協会)が製作した衛星用トランスポンダー擬似衛星用実験局(富士山山項JS3AK)、制御用実験局(朝霧高原・JS3AL)、その他衛星を通信の相手とする実験局2局(東京・JS2FK,名古屋・JS3AM)を開設し、衛星を介して東京―名古屋間で通信実験が行われた。
10月1日 JARLは創立50周年を記念し、「アマチュア無線のあゆみ(日本アマチュア無線連盟50年史)」を発行した。
10月1日 名古屋市中村区のガーデンビルに養成課程JARL東海ハム教室を開設した。
10月24日 第1回JARL北陸ハムシンポジウムを福井県敦賀市の「敦賀勤労福祉センター」で開催した。
10月29日 山形県酒田市の大火に際し非常通信でJARL酒田クラブが活躍した。
12月10日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)がイギリスの連盟RSGBを表敬訪問した。
昭和52年 1977年
2月12日 WARC-79に備えJARLが設置したWARC対策研究委員会(委員長小室圭五氏JAlKAB)の初会合が東京・青山のグイヤモンドホールで開かれた。
3月6日 430MHzにおける月面反射通信(EME)において、福岡県久留米市の森七郎氏(JA6CZD)が米ニュージャージーのK2UYHとの交信に成功した。
3月7日 JARL会員数78,268名。
5月17日 第9回世界電気通信日に特別記念局8J1ITUを東京都千代田区の逓信総合博物館に開設した(運用期間5月15日〜5月22日)。
5月29日 JARL第19回通常総会(さくらんぼ総会)を山形県天童市「天童市市民文化会館」にて開催(1,500名が出席)。塚村泰夫氏(JA3AUexJ3CW)を名誉会員に推挙。前日には、初の総会前夜祭など各種行事が華やかに行われた。
7月9日〜11日 IARU主催のコンテスト「ラジオスポーツ・チャンピオンシップ」の第1回が実施された。
7月29日 V・U1000、1200/2300/5600MHz各アワードの発行を開始した。
7月末 50/l44MHzビーコン電波を三重県朝熊山よりJA2IGYの呼出符号で発射を開始した。
8月20日 JARLはWARC-79に備え、郵政省に周波数分配の要望書を提出した。
9月23日〜25日 過去2回の全日本ハムベンションを継承し、JARL主催により第1回アマチュア無線フェスティバルが東京都中央区晴海の「東京国際貿易センター南館」において開催され、26,000名が来場。記念局8J1HAMが運用され、24日には小宮山郵政大臣が視察された。
9月23日 アマチュア無線再開25周年記念式典を東京都中央区の「ホテル浦島」において開催、功労者55名を表彰した。
9月24日 昭和2年に私設無線電信無線電話実験局として認められた、わが国のアマチュア無線局開設50年にちなみ、記念切手が発行され、東京都港区の「ホテルオークラ」において、小宮山郵政大臣を迎え関係者約150名出席のもと「日本アマチュア無線開設50年記念式典」を行い、大臣よりJARLへ記念切手が贈呈された。 M
10月3日 ARRLがサテライトDXCCの発行を開始した.
10月9日 東京都豊島区巣鴨のJARL事務局に第2イソノビル分室を設け、事業課、JARL技術研究所、JA1RLなどが置かれた。
11月3日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)が台湾台北市のBV2A/Bを表敬訪間した。
12月10日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)が西ドイツの連盟DARCその後フランスの連盟REFを訪問した。
12月19日 坂野三郎氏(JA9IOC)が430MHzで初のAJDを完成した。
昭和53年 1978年
1月1日 JARL制定V・UHF帯使用区分改正の144MHz帯が第2段階に移り、FMのナロー化(40?16kHz以下)や使用区分などが改正された。
1月28日 JARL技術研究所開所に際し、OM諸氏を招き公開を行った。
2月21日〜26日 オーストラリアの連盟WIAの会長ワードロー氏(VK3ADW)が来日し、21日には東京都文京区の「椿山荘」においてJARLが歓迎会を開く。
2月24日 田尻憲輝氏(JH6TEW)がダーウインのVK8GBと144MHzにおける日本一オーストラリア間の初交信に成功した。
3月3日 50MHz帯で前田幸一氏(JA5CMO)と南米チリのCE3Okが交信、サイクル19以来約20年振りに南米との交信に成功した。
3月6日 アメリカでオスカー8号の打上げに成功。これにはJARLも協力しJAMSATが製作したトランスポンダーが搭載された。
3月7日 JARL会員数90,220名。
3月20日 CQビル改築のため、JARL事務局が近くの冠城園ビルヘ仮移転した。
4月1日 JARLのQSLカード転送制度が改正され、外国ステッカーの廃止、取扱うカードの規格の明確化、非会員宛QSLカードの取扱い変更などが実施された。
4月10日 タイの連盟RASTの会長カムチャイ氏(HS1WR)が来日した。
5月1日 電波関係手数料が改訂され、アマチュア無線関係も約3倍に値上げされた。
5月8日 那覇市にJARL沖縄連絡事務所を開設した。
5月17日 第10回世界電気通信日に特別記念局8J1ITU、8J3ITU、8J9ITUを開設した(運用期間は5月13日〜5月21日)。
5月21日 JARL第20回通常総会(太陽総会)が鹿児島市の「鹿児島県文化センター」において開催され1,500名が出席。会長に原昌三氏(JA1AN)、副会長に岡本次雄氏(JA1CA)、大塚政量氏(JA5AF)、専務理事に内山敏明氏(JAlLR)が就任した。
6月1日 JARL発行のJCG(郡アワード)、WAGA、HAGA(全郡賞)の申請受付けが開始された(発行開始は昭和54年1月1日より)。
6月7日〜23日 ITUのCCIR(国際無線通信諮問委員会)第14回京都総会に特別記念局8J3ITUを会場内に開設し、各国代表に広く運用が認められた。また12日にITU事務総局長ミリ氏、CCIR委員長カービイ氏(WφLCT)、平野電波監理局長ほか各国代表多数を招き、京都市内の「ホテルフジタ京都」においてJARLが歓迎パーティを開催した。
6月21日〜24日 東京都港区の「八芳園」で開催のライオンズクラブ世界大会会場内に特別記念局8J1LIOを開設した。
7月16日〜翌年1月15日 東京都江東区で開催の宇宙科学博覧会会場内に特別記念局8J1SATを開設した。
7月18日 目の不自由な人にも上級資格取得が可能なように郵政省の省令が改正され、この年の10月期の国試で26名が合格した。
9月6日 元CQ出版社社長、鈴木松雄氏が逝去。
10月6日〜9日 IARU第3地域連合第4回総会がタイのバンコクで開催され、WARC-79の対処方針、IARUオブザーバーチームヘの参加(森本重武氏JA1NET他3名)などを決定した。
10月11日 JARLはスリランカの連盟RSSLへ国際協力として機器を贈呈、東京都港区のスリランカ大使館でJARL会長原昌三氏(JAlAN)より大使へ手渡された。
10月12日 JARL名誉会員の宮井宗一郎氏(exJ3DE)が逝去。
10月20日〜22日 日本商工会議所100年祭に特別記念局8J1JCIが運用された。
10月26日 ソ連初のアマチュア衛星RS-1,2が打上げられた。
10月27日〜29日 アマチュア無線フェステイバル(第2回)を"こころのふれあい"テーマに東京晴海の「束京国際貿易センター西館」で開催し、24,000名が来場。期間中特別記念局8J1HAMを開設した。
12月10日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)がITU訪ね、ミリ事務総局長らと会談、またREFを表敬訪問した。
12月11日 郵政省からのWARC-79に対する意見照会に対し、JARLは要望書を提出。同14日郵政省における打合わせ会において意見を述べた。
昭和54年 1979年
1月1日 JARL主催SWLコンクールの規約が改正され、参加できるのは局の免許を持たない准員のみとなった。
1月28日 JCGアワード制定を記念して「JCG制定記念コンテスト」を開催した。
2月7日 JARL会員が10万人を突破した(この日現在会員数102,046名)。
3月7日 JARL会員数lO3,759名。
4月23日 東京都豊島区巣鴨に「CQビル」が完成し、JARLは新ビルに移転した。
5月l7日 第11回世界電気通信日に特別記念局8J1ITU、8J3ITU、8J9ITUを開設した(5月11日〜5月20日の期間運用)。
5月27日 JARL第21回通常総会(らいらっく総会)が札幌市の「北海道立共進会場」において開催され、2,000名が出席。WARC-79に向けての方策などを決定した。
6月11日〜l5日 藤原仁氏(JF1IST)が沖ノ鳥島DXぺデイションに成功した。
6月23日 JARL関西地方事務局10周年記念パーティを大阪市内において開催。
6月30日 1.2GHzのビーコン電波が三重県朝熊山のJA2IGYより発射が開始された。
7月22日 JARLの助成制度が拡大充実された。
8月1日〜31日 国際児童年記念行事"世界と日本のこども展"が愛知県の「愛知青少年公園」において開催され、特別記念局8J2IYCが開設された。
8月17日〜19日 '79アマチュア無線フェスティバル(第3回)が夏休み期間中の開催となり"世界を結ぼう"をテーマに束京晴海の「東京国際貿易センター新館」において開かれ、28,000名が来場。期間中特別記念局8J1HAMを開設した。
8月26日 JARLの規則を一部改正し、条文の明確化等をはかった。
8月26日 JARL評議員会規定を制定した.
9月19日 JA4IGYに1.2GHzビーコンが免許された。
9月27日〜12月6日 ITU無線通信規則に定める全業務の周波数分配や制度を見直すためにWARC-79がジュネーブで開催され、アマチュア無線業務への10/18/24MHzや40GHz帯以上の新バンドを獲得。アマチュア衛星業務用周波数帯の拡大等多大の成果をあげた。JARLはIARUオブザーバーチームとして森本重武氏(JA1NET)を派遣。また、JARL会長原昌三氏(JAlAN)が開会期間中、諸行事のため会議を訪れ、更に日本から10名余の会議支援グループを送った。なお、9月20日〜26日にジュネーブで開催されたTELECOM-79にIARUが出展し、アマチュア無線を紹介した。
10月2日 WARC-79においてIARUがレセプションを開催した。また、同22日にはDARCがレセプションを開催した。
10月5日〜15日 日本のITU加盟100周年を記念し全国で特別記念局8J(1〜φ)ITUを開設運用した。
10月13日 わが国のITU加盟100周年記念式典が、東京都港区の「プリンスホテル」において開催された。
10月30日 WARC-79においてJARLおよび第3地域連合主催によるレセプションがITU本部ビルにおいて開催され、世界各国代表250名以上が出席し、またJARLはWARC-79に際し、ITU本部ビル内の4U1ITUに機器を贈呈した。
11月7日 IARU会長イートン氏(VE3CJ)の要請によりWARC-79の参加アマチュアがジュネーブで会合し、WARC-79の準備作業の経験に照らし、将釆いかにしてアマチュア無線を強くできるか、またそのためにIARUをどのように改組すべきかについて意見交換を行い、改組実現の措置を進めることとした。
11月18日 JARLは非常通信に関する規定を実施し、非常通信に使用する周波数などを定めた。
12月3日 JARLは法人認可20周年を迎え、東京都港区の「青山ダイヤモンドホール」において"アマチュア無線の夕べ"を開催した。
12月10日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)がDARCを表敬訪間した。
12月15日 JARL元理事の浜赳夫氏(JA8AA)が逝去。
昭和55年 1980年
3月7日 JARL会員数118,035名。
3月15日 V・UHF帯の使用区分を見直すため、JARLは周波数委員会(委員長林一太郎氏JA1BZ)を設置した。
4月5日 東京都豊島区巣鴨の第2松岡ビル3階にJARL展示室が開設され、資料・参考品の一般公開を開始した。また、OM諸氏など協力者50名余を招き開設記念祝賀会を開催した。
4月10日 溝口皖司氏(JA1BK)が50MHzでジブラルタルのZB2BLと交信、日本とヨーロッパの50MHzによる初交信に成功した。
5月17日 第12回世界電気通信日に特別記念局8J1ITU、8J2ITU、8J3ITU、8J4ITU、8J7ITU、8J9ITUを開設した(5月9日〜5月18日の期間運用)。
5月23日 フェーズV-Aが、アリアン・ロケットの不調で打上げに失敗した。
5月25日 JARL第22回通常総会(なにわ総会)が大阪府吹田市の、「万国博ホール」において開催され、会費改訂、また、名誉会員に村井洪氏(JA1AC exJ2MI)及び山本信一氏(JA3CS exJ3CS)の推挙などを決定、会長に原昌三氏(JA1AN)、副会長に田路嘉秀氏(JA3XZW)、井波眞氏(JA6AV)、専務理事に斎藤健氏(JA1AD)が就任した。
5月25日 アマチュア無線局関係手数料が改訂された。
6月21日〜23日 JARL主催のオールアジアコンテストの開催時間が、第21回より48時間に延長して実施した。
6月28日 西独フリードリッヒハーフェンにおけるIARU首脳会議に、JARL会長原昌三氏(JA1AN)が出席、IARU組織改正などを討議、また、JARLアマチュア衛星について、より大きな協力を各国より求められた。
7月14日 JARL事務局の機構改革が行われ、4部制が敷かれた。
7月15日 JARLより太平洋学会を通じ、ニューヘブリデス(YJ8)へアマチュア無線振興のため機器が贈呈された。
7月21日 JARL事務局長に椙田宜行氏(JM1WJV)が就任した。
8月7日 台湾の陳氏(BV2A/B)がJARLを訪問した。
8月20日 フェスティバルの開催を前に、JARLの招きにより中国無線電運動協会秘書課長の程平氏、副秘書長汪勳氏、于再清氏が来日、フェスティバルを見学するとともに、21日にはJARL事務局を訪問。同日東京都文京区の「椿山荘」で歓迎会が開催され、25日からは京都など関西を訪れ、8月27日大阪より帰国した。中国におけるアマチュア無線の再開、7MHz侵入電波問題の解決に期待が見えはじめた。
8月22日〜24日 '80アマチュア無線フェスティバル(第4回)を"君の手に新しい世界を"をテーマに東京晴海の「東京国際貿易センター新館」において開催。34,000名が来場。中国代表団の来場もあり、盛況だった。また、期間中特別記念局8J1HAMを開設した。
9月30日 JARLは太平洋学会を通じソロモン(H44)とフィージー(3D2)へ、アマチュア無線振興のため、機器を贈呈した。
10月4日 金子賢二郎氏(JA1TGS)がアフリカ リベリアのEL2FYと交信し、わが国初の50MHzによる6大陸交信(WAC)を完成した。
10月9日〜10日 これまでのJARL主催オールシティーコンテストを改め、「全市全郡コンテスト」として第1回が開催された。
10月18日 V・U-10000アワード 第1号を平洋文氏(JR1GMK)が取得した。
10月22日 IARU会長の要請に応じ、JARLは管理理事会の新設を骨子とするIARU改組案を提出した。
10月29日 スペインの国王カルロス殿下(EAφJC)ご夫妻が秋葉原のハムショップを見学された。
10月31日 JA7IGYに1.2GHzビーコンが免許された.
11月1日 JARL発行アワードの受付けを東京の連盟事務局へ一本化し、地方事務局による受付けは中止された。
12月1日 これまでのCQ出版社による発行に代わりJARLにより局名録の発行が行われ、4分冊によりまず関東版が発行された。
12月10日 国会アマチュア無線クラブ(JG1ZQU)の設立総会が東京都千代田区の「赤坂プリンスホテル」において開催され、会長に小渕恵三衆議院議員(JIlKIT)、代表幹事に関谷勝嗣衆議院議員(JA5FHB)が就任、総会後の記念パーティには多数の国会議員が出席し設立を祝い、活動のテーマの一つに日の丸衛星の打上げを選んだ。これによりわが国のアマチュア衛星打上げ実現についても、強力なバックアップが期待でき、可能性が高まった。
12月23日 JARLでは,外国人にわが国でもアマチュア無線局が開設できるよう、電波法第5条の適用をアマチュア無線局には除外することについて、田中電波監理局長に陳情書を提出。同時にJARL会長原昌三氏(JAlAN)一行は、議員会館に小渕恵三衆議院議員(JI1KIT)を訪ね協力を要請した。
昭和56年 1981年
3月5日 CCIR研究組織改善代表者調整会議に来日した、CCIR委員長カービイ氏WφLCT)および各国代表をJARLが招き、東京都文京区の「椿山荘」で懇談会を開催した。
3月7日 JARL会員数119,995名。
3月18日 レピータ研究委員会(委員長藤室衛氏JA1FC)の第1回会合が開催された。
3月20日〜9月15日 神戸市で開催された「ポートピア'81」にアマチュア無線館を開設し、特別記念局8J3XPOを運用した。
3月21日 香川県三豊郡仁尾町で開催の「仁尾太陽博」に特別記念局8J5SUNを開設した。
4月19日 韓国の連盟KARL第26回定期総会にJARL常任理事有坂芳雄氏(JA1HQG)が出席した。
4月22日〜26日 アメリカのデイトン ハムベンションにJARL理事皆川宣明氏(JA1EYW)が出席した。
4月25日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)が北京の中国無線電運動協会(BYlPK)を訪問した。
4月27日〜5月1日 IARU第1地域連合第12回総会がイギリスのブライトンにおいて開催され、JARL事務局長付藤岡昌義氏(JMlUXU)が出席した。
5月13日 日本人にアマチュア局を許可する国に対し、わが国も同様開設を許可する相互主義による外国人アマチュアヘの免許付与、また電信・電話級アマチュア無線技士国家試験事務の民間委託に関し電波法が改正された(施行は11月23日)。
5月17日 第13回世界電気通信日に、特別記念局8J1ITU,8J21TU,8J3ITU,8J4ITU,8J61TU,8J7ITU,8J9ITUを開設した(運用期間は5月8日〜5月18日)。
5月23日 JARLの理事会・評議員会で無線従事者国家試験センター設立へ1億円の出捐方針について総会への付議が決定された。
5月24日 JARL第23回通常総会(おけさ総会)が新潟市の「新潟県民会館」において開催され、1,700名が出席。国試センターヘの出捐などが決定された。
6月12日 JARLはアマチュア衛星打上げに関する要望書を田中電波監理局長に提出した。
6月17日 元電波監理局長、IFRB(国際周波数登録委員会)委員の西崎太郎氏が逝去された。同氏はJARLのWARC対策研究委員会の顧問としても尽力され成功に導く源動力となられた。
6月21日 JARL沖縄県支部は、沖縄のアマチュア無線許可20周年を祝う記念式典を浦添市の「浦添市民会館」において250名出席のもとに開催した。
7月1日 JARL制定「V・UHF帯使用区分」の一部を改定、レピータの使用区分などが追加された。
7月2日 郵政省が周波数割当原則を改正。WARC新バンドのアマチュアヘの割当てが決定された。
8月1日 JA9IGYに1.2GHzのビーコンが免許された。
8月4日 財団法人・無線従事者国家試験センターの設立発起人会が郵政省において開催され、JARL会長原昌三氏(JA1AN)が出席した。
8月21日 JARLの「初級アマチュア無線点字教科書」が郵政省により認定された。
8月21日〜23日 '81アマチュア無線フェスティバル(第5回)を"アマチュア無線とコンピューター・障害者とアマチュア無線"をテーマに東京晴海の「東京国際貿易センター新館」において開催。また、22日には常陸宮殿下がご来臨になった。32,000名が来場。期間中特別記念局8J1HAMを開設した。
8月24日 JA6IGYに1.2GHzのビーコンが免許された。
8月28日 東京都港区の「東京都郵便貯金会館」において無線従事者国家試験センター設立総会が開催された。
9月1日 JARLのAJA(オール・ジャパン・アワード)の発行が開始された。
9月1日 日本ITU協会が同協会への貢献についてJARLに対し協会賞を贈った。
9月8日〜l3日 イタリア シシリー島のセファルーでアマチュア無線非常通信会議が開催され、17か国が参加した。日本からはJARL事務局長付藤岡昌義氏(JM1UXU)が出席した。
9月9日 JA7IGYに2.4GHzのビーコンが免許された。
9月10日 JA1IGYに2.4GHzのビーコンが免許された。
9月14日 JARLの第233回理事会で「アマチュア衛星打上げ準備委員会」(委員長森本重武氏JA1NET)の設置が決定された。
9月18日 アマチュア衛星打上げ準備委員会が初会合を開催した.
9月18日〜23日 第1次JARL訪中団(団長JARL会長原昌三氏JA1AN他5名)が中国を訪間、安徽省屯渓における全中国Foxハンティング大会などを視察。北京、杭州、上海などを訪問、友好親善を深めた。
10月6日 アメリカでUOSAT-OSCAR UO-9の打上げに成功した。
10月22日 外国人アマチュア局免許、国試事務の一部民間委託などに関する規則改正の聴聞会が郵政省で開催された。
11月1日 「JARLアマチュア無線ハンドブック」改訂新版が発行された。
11月3日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)が台湾のBV2A/Bを訪問し、台湾における局の増加を要望した。
11月24日 チリの連盟RCCH会長のゴメス氏(CE3GF)がJARLを訪問した。
11月30日 JARLはレピータ局の早期開設許可を田中電波監理局長に陳情した。
12月10日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)がオーストリアの連盟OVSVの本部を表敬訪問した。
12月17日 ソ連がRS-3から8まで6個の衛星の同時打上げに成功した。
12月26日 小渕・関谷両衆議院議員が箕輪郵政大臣、中川科学技術庁長官を訪ね、アマチュア衛星打上げについての協力を要請し、これでアマチュア衛星打上げの可能性は大きく前進した。
昭和57年 1982年
1月20日 JARLが太平洋学会を通じパラオ(KC6)にアマチュア無線振興のため無線機を贈呈し、五島昇学会長がエメリク大統領に贈った。
2月10日 JA1IGYが東京都千代田区の「霞が関ビル」へ常置場所を変更した。
2月16日 多田正信氏(JHlWDN exJ1OP)が逝去。
3月1日 10MHz帯開放についての伝達が箕輪郵政大臣よりJARL会長原昌三氏(JA1AN)に対し大臣室において行われた。
3月5日 東京都豊島区のJARL事務局に設置されたわが国初のレピータ局JR1WA(430MHz帯)が、落成検査に合格、免許された。なお、3月15日には来賓に大竹関東電波監理局長他を迎え、開局式を行い運用を開始した。
3月7日 JARL会員数126,465名。
3月12日 山野常禎氏(JA5HTP)がブラジル クラチバのPY5BABと交信。50MHzにおける世界遠距離交信記録19,997.05kmを達成。
3月21日 BY1PKが電波発射。中国のアマチュア無線活動が再開され、21MHzのCWで交信が行われた。
3月26日 DARC会長のレシッヒ氏(DK3LP)がJARLを訪問した。
3月31日 ARRL会長のクラーク氏(W4KFC)がJARLを訪問した。
4月1日 WARC新バンドの10MHz帯がわが国で開放された。
4月1日 国試センターが初の電話級アマチュア無線技士試験を東京都中央区の試験会場で実施した。
4月2日〜5日 IARU第3地域連合第5回総会がフィリピンのマニラにおいて開催され、JARLから会長原昌三氏(JA1AN)他が出席。理事会の毎年開催、理事会議長の新設、WARC-79HF新バンドのバンドプラン、事務局の日本移管などが決められた。理事会議長にランキン氏(9V1RH/VK3QV)、事務局長に藤岡昌義氏(JM1UXU)が選出された。
4月7日 IARU会長イートン氏(VE3CJ)およびARRL副会長ボールドウィン氏(WlRU)がJARLを訪問、6日は文京区の「椿山荘」で歓迎会が開催された。
4月18日 KARL第27回定期総会にJARLから理事桑沢和夫氏(JAφIA)および事務局長椙田宜行氏(JM1WJV)が出席した。
4月22日 アマチュア局の動作周波数が変更され、1200MHz帯が1260〜1300MHzに、さらに高い周波数についても一部改正され5月1日より施行された。
5月15日 元駐日米大使マイヤー氏(W3ACE)がJARLを訪問。会長原昌三氏(JA1AN)、前会長村井洪氏(JA1AC)と旧交を温めた。
5月17日 第14回世界電気通信日に際し特別記念局8J11TU、8J2ITU、8J61TUを開設した(運用期間は5月8日〜5月16日)。
5月l9日〜22日 国際青年会議所(JCI)アジア太平洋会議の開催に際し、特別記念局8J6JCIを宮崎市に開設した。
5月23日 JARL第24回通常総会(常陸総会)が水戸市の「水戸市民会館」において開催され、1,500名が出席。アマチュア衛星の打上げ実現などへの取組みを決めたほか、会長に原昌三氏(JA1AN)、副会長に田路嘉秀氏(JA3XZW)、井波眞氏(JA6AV)、専務理事に斎藤健氏(JA1AD)が就任した。
5月29日〜31日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)、専務理事斎藤健氏(JAlAD)他1名がKARLを表敬訪問した。
6月1日 電波の日にJARL会長原昌三氏(JA1AN)がアマチュア無線の発展と電波行政への貢献により郵政大臣から表彰を受けた。
6月2日 IARU第3地域連合事務局を東京都豊島区巣鴨に開設。田中電波監理局長らを迎え開所式が開かれた。
6月12日〜8月22日 北海道博(札幌市)に特別記念局8J8XPOを開設し、6月12日の開局式には箕輪郵政大臣が出席された。
6月12日 森久信氏(JA9BE)が1200MHz帯で初のAJDを完成した。
6月16日 親日家として知られたRAST会長のカムチャイ氏(HS1WR)が逝去。
7月13日 電話級・電信級アマチュア無線技士の操作範囲が拡大され、FAX、RTTY、SSTV、ATVなどの画像通信も可能となった。
7月23日 長崎県の集中豪雨に際し情報収集や救援の通信にアマチュア無線局(日赤支部JA6YAU)が活躍した。
7月31日 JAφIGYに1.2GHzのビーコンが免許された。
8月20日〜22日 '82アマチュア無線フェステイバル(第6回)が"翔ばせハムフェア82"をキャッチフレーズに東京晴海の「東京国際貿易センター新館」において開催され、KARLより3名の来賓を迎え36,000名が来場した。期間中特別記念局8J1HAMを開設した。
9月l3日 聴力障害者に電話級アマチュア無線技士の資格取得が可能となるよう、免許規則が改正された。
9月16日 KARLの李敏燮理事長(HL1AOT)がJARLを訪間した。
9月20日 JARL元副会長石田太一郎氏(JA1KFexJA8AB)が逝去。
9月23日 第1回レピータ委員会(委員長藤室衛氏JA1FC)が開催された。
10月1日 第1回レピータ局(団体局)の受付が開始された。
10月6日〜13日 JARL訪中団(団長JARL副会長井波眞氏JA6AV他8名)が中国河南省少林寺の全中国無線電測向競技大会に参加。なお8日北京でBY1PKを外国人として初運用し、日本へ再開30周年のメッセージなどを送った。
10月9日 アマチュア無線再開30周年記念式典が東京都港区の「ホテルオークラ」において500名が出席して開催され、398名と12団体を表彰。外国からはIARU会長ボールドウィン氏(W1RU)他が出席。10 日には外国アマチュア団体首脳とJARL関係者との懇談会を東京都千代田区の「日本都市センター」にて開催、諸外国のアマチュア無線制度の現状と将釆について話し合いが行われた。
10月25日 聴覚障害者ハム第1号として広瀬俊治氏(大阪府富田林市)が受験し合格した。
11月30日 現行憲章の下におけるIARU管理理事会(IARU会長、副会長、事務局長、各地域の代表2名の委員から成る)設置など組織改正に関する憲章改正が成立した。
12月9日 JARL会長原昌三氏(JA1AN)がITUを訪問し、事務総局長のバトラー氏と会見した。
昭和58年 1983年
1月〜12月 国連の世界コミュニケーション年(WCY)が実施され、各地で記念行事が行われた。
3月7日 JARL会員数130,213名。
3月16日 わが国の宇宙開発委員会が、昭和60年度冬期打上げ予定のH-Iロケット(2段式)試験機による複数衛星打上げに関する基礎実験の一環としてアマチュア衛星の打上げを決定した。
3月24日〜26日 IARU第3地域連合理事会を東京都千代田区の「日本教育会館」において開催。理事会議長ランキン氏(9V1RH)他4名の理事および事務局長が出席、IARU憲章の全面改正の方向などについて審議した。
3月28日〜4月1日 IARU第1回管理理事会を東京都千代田区の「日本教育会館」において開催。IARU会長ボールドウィン氏(W1RU)ほか全理事が出席。IARU憲章の全面改正第1次案を作成した。
3月29日 1200MHz帯初のレピータ局(JR1WB 東京都千代田区「霞が関ビル」)が免許された。
4月1日 JAS-1打上げのためのアマチュア衛星募金が開始された(募金委員会委員長大河内正陽氏JP1BJR)。募金目標は1億5千万円。
4月1日 養成課程講習会電話級標準コースの授業時間が、44時間から36時間に短縮された。
4月16日 アマチュア衛星打上げ決定に伴い、JARLのアマチュア衛星打上げ準備委員会が第25回目より「アマチュア衛星委員会」と改称し開催された。
4月17日 KARLの第28回定期総会にJARL会長原昌三氏(JA1AN)が出席した。
5月10日〜l8日 世界コミュニケーション年(WCY)を記念し、JARLは特別記念局8J1WCY(東京都)、8J5WCY(香川県香川町)、8JφWCY(長野市)をそれぞれ開設した。
5月22日 JARL第25回通常総会(越前総会)が福井市の「福井県産業会館」で開催され、1,500名が出席。衛星打上げに必要な施策や世界アマチュア無線国際会議(WARIC)への参画などを決定、専務理事に皆川宣明氏(JA1EYW)が就任した。
5月22日 アメリカの20mフォーンバンドが拡大された。
5月24日 14MHzのNCDXF方式のビーコン電波をJARLがJA21GY(三重県朝熊山)より発射を開始した。
6月9日 JAS-1とH-Iロケットのインターフェース会議がNASDA(宇宙開発事業団)において開催された。
6月l6日 欧州宇宙機関(ESA)のアリアン・ロケットでフェーズIII-B(オスカー10号)が打上げに成功した。
7月1日〜8月31日 新潟市における'83新潟博で特別記念局8JφXPOを開設した。
7月8日 郵政省告示により空中線電力100Wまでの送信機に関するJARLの保証認定が拡大された。
8月19日〜21日 '83アマチュア無線フェスティバル(第7回)を,"とどけ世界に!"をキャッチフレーズに東京晴海の「東京国際貿易センター新館」において開催、38,000名が来場。
世界コミュニケーション年(WCY)にちなみワールドコーナーを設置。また、会場内でJAIAフェア(主催日本アマチュア無線機器工業会)がこの回より同時開催されることとなった。なお期間中特別記念8J1HAMを開設した。
9月1日 RTTY、SSTV、FAXの普及に伴い、JARLでは、これらを考慮した新アマチュア・バンド使用区分を実施した。
9月l9日〜21日 WCYにちなみ、JARLおよび郵政省共催により、世界アマチュア無線国際会議(WARIC)が東京都千代田区の「日本都市センター」において開催され、ITU事務総局長のバトラー氏をはじめ、18か国より約200名が参加。アマチュア無線の振興、ITUの会議への積極的参加。アマチュア無線の資格の国際基準などを骨子とする東京宣言を採択。また会場内には特別記念局8N1WCYを開設、参加した海外アマチュアに広く運用を許可。19日には、東京都港区の「ホテルオークラ」で300名が出席し記念交歓パーティが開催された。
10月1日 従事者規則が改正され、免許証申請に医師の診断書が必要と認められない限り不要となると共に、免許証が小型化され、ラミネート加工されたものとなった。
10月2日 JARL四国地方本部(旧四国支部)創立30周年記念式典大会が香川県観音寺市の観音寺市民会館で開催された。
10月10日〜16日 上海のBY4AA開局式にJARL訪中団(団長JARL副会長井波眞氏JA6AV他4名)が出席した。
10月20日 CQ出版社創立30周年祝賀式が東京都文京区の「椿山荘」で行われた。
11月3日〜5日 IARU第2回管理理事会がIARU本部で開催され、組織改正に関し憲章の細則改正案が作成された。
11月l3日〜20日 東京都千代田区「ホテルニューオータニ」で開催の国際歯科連盟大会を記念し、特別記念局8JlFDIを開設した。
11月25日 ARRL会長クラーク氏(W4KFC)が急逝。
11月26日 沖縄の呼出符号JR6が終わりJS6になった。
11月27日 仁尾太陽博8J5SUNが閉局した。
11月29日〜12月9日 米スペースシャトル・コロンビア号(STS-9)よりオーエン・ギャリオット博士(W5LFL)による宇宙から初のアマチュア無線交信が144MHzで行われ、290局との交信に成功した。
11月30日 JARLがNASDAと"複数衛星打上げに関する基礎実験及びアマチュア衛星打上げの実施に関する協定"を締結した。
12月1日 JARLの局名録が全国を1冊にまとめ発行された。
昭和59年 1984年
1月18日 JARLの100W保証認定制度を郵政省が承認。これにあわせて、保証認定された送信機に標章を貼付することが義務づけられた。
2月27日 JARLが100Wまでの保証認定の受付けを開始した。
3月2日 アメリカでUOSAT-OSCAR UO-11の打上げに成功した。
3月7日 JARL会員数131,262名。
4月8日〜13日 IARU第1地域総会がシシリー島セファルーにおいて開催され、JARL会長原昌三氏(JA1AN)および第3地域事務局長藤岡昌義氏(JM1UXU)が出席した。
5月17日 第16回世界電気通信日を記念し、特別記念局8J1ITU、8J6ITU、8J8ITUを開設した(運用期間は5月11日〜5月22日)。
5月27日 JARL第26回通常総会(駿府総会)が静岡市「静岡市民文化会館」で開催され、1,500名が出席.名誉会員に林一太郎氏(JA1BZ exJ1EI)、櫻井一郎氏(JA3AF exJ3FZ)、湯浅楠敬氏(JA3TT exJ3FJ)、大塚政量氏(JA5AF exJ4DE)を推挙.会長に原昌三氏(JAlAN)、副会長に田路嘉秀氏(JA3XZW)、井波眞氏(JA6AV)、専務理事に熊谷誠氏(JJ1WUC)が就任した。
5月30日 IARU新憲章・細則が加盟団体3分の2以上の賛成を得て発効した。
6月27日 郵政省アマチュア無線クラブ(JJ1YHC)が発足、奥田郵政大臣、関谷郵政政務次官(JA5FHB)などが出席し、開局式が行われた。
7月1日 郵政省が3局体制に改組され,電波監理局は電気通信局と改称された。
7月3日 日本のアマチュア無線の草分・磯英治氏(exJ1SO)が逝去。
7月9日 JARLは宇宙開発委員会の斉藤成文氏ほか各界の権威を東京都港区の「青山ダイヤモンドホール」に招き、アマチュア衛星懇談会を開催した。
7月10日 JARLは郵政省に対し、29MHz帯レピータ局の開設に関する要望書を提出した。
7月17日 JARL名誉会員、橋本数太郎氏(JA8RT exJ7CB)が逝去。
7月21日〜26日 JARL日台親善ぺディシヨン(団長戸渡義一郎氏JA6MS他9名)がBVφABを運用した。
8月24日〜26日 '84アマチュア無線フェスティバル(第8回)が"ふれあいニューメディア"をキャッチフレーズに東京晴海の「東京国際貿易センター新館」において開催され、48,000名が来場した。なお期間中特別記念局8JlHAMを開設した。
9月1日〜30日 JARLの会員増加促進運動が実施された。
10月14日 JARLの電算処理システムについて利用効果を高めるため、新たに一元化をはかることを、理事会で決定した。
10月16日〜28日 第1回日中親善無線電測向競技大会(中国四川省成都市)にJARLは選手団(団長常任理事有坂芳雄氏JAlHQG他12名)を派遣した。
10月10日 RASTの創立20周年記念式典にJARLは理事吉井裕氏(JA9AG)を派遣した。
11月11日 JARLの関西アマチユア無線シンボジウムが関西・中国・四国・九州地方本部共催により第1回西日本シンボジウムとして京都市の「京都会館」において開催された。
12月11日 JAS-1の分離試験が三菱重工名古屋製作所で行われた。
12月21日 JARL名誉会員でJAS-1の打上げに情熱を傾けておられたアマチュア衛星委員会委員長森本重武氏(JA1NET exJ1FT)が逝去。
昭和60年 1985年
1月1日 郵政省の省令改正により、電信級アマチュア無線技士国家試験の電気通信術が受信のみになる。また、電話級アマチュア無線技士有資格者は学科が免除になり、JARLの養成課程講習会の電信級移行コースも電気通信術のみとなった。
1月1日 29MHz帯レピータ開設に備え、アマチュアバンド使用区分を一部改正し、レピータ入出力周波数を制定した。
1月2日 'JARL主催QSOパーティーが12年目を迎え、十二支を達成した希望者には記念盾を贈るようになった。
1月30日 わが国の宇宙開発委員会の懇談会においてJARLアマチュア衛星委員長斎藤健氏(JA1AD)がJAS-1について報告した。
3月7日 JARL会員数129,721名。
3月9日〜9月16日 科学万博-つくば'85にアマチュア無線コーナーを設置。8J1XPOを初の無線による遠隔操作方式により運用、外国人のアマチュアにも広く運用が許可された。
4月1日 各地方電波監理局の名称が電気通信監理局に改称された。
4月1日 アマチュアバンド使用区分の一部改正が行われ、430MHz帯レピータ入出力周波数帯を倍増した。
4月15日 JARLが登録クラブに送っている「JARL情報」を「JARLEXPRESS」に改称し、希望者にも有科頒布することとなった。
4月28日 韓国アマチュア無線連盟(KARL)創立30周年記念式典にJARL会長原昌三氏(JA1AN)が出席し、李韓国逓信部長官より原会長にアマチュア無線を通じた日韓交流・親善への貢献に対し、感謝状が贈呈された。
5月6日〜9月4日 ユニバーシアード神戸大会を記念して、神戸市の「神戸学院」に特別記念局8J3UNVを開催した。
5月17日 第17回世界電気通信日を記念し、特別記念局8J2ITU、8J5ITU、8J7ITUを開設した(運用期間は5月16日〜5月27日)。
5月26日 JARL第27回通常総会(日向-ひむか-総会)が宮崎市の「サンホテルフェニックス」において開催され、1,300名が出席。アマチュア無線の多様化への対応などを決めたほか、名誉会員に斎藤健氏(JA1AD exJ2PU)および矢木太郎氏(JH1WIX exJ1DO)が推挙された。
6月1日〜10月14日 国際青年年を記念し8J8IYY(6月1日〜30日)、8J6IYY(7月20日〜9月1日)、8J9IYY(9月15日〜lO月l4日)を開設した。
7月29日〜8月6日 イングランド宇宙飛行士(WφORE)がスペースシャトル・チャレンジャーから運用し、8月4日に中島功氏(JHlRNZ)がSSTVによる交信に成功した。
8月8日 アメリカと相互運用実現(9月7日発効)。呼出符号は"7J"シリーズを使用することになった。
8月8日〜9月15日 WARC-ORB(衛星に関する世界無線通信主管庁会議)がジュネーブにおいて開催され、JARL会長原昌三氏(JA1AN)が日本政府代表団の一員として出席。IARUは8月15日にレセプションを開催した。
8月17日 中国福州市のBY5RAの開局1周年記念式典にJARLから会長原昌三氏(JA1AN)が出席した。
8月23日〜25日 '85アマチュア無線フェスティバル(第9回)が、"翔べJAS-1"をキャッチフレーズに東京晴海の「東京国際貿易センター新館」において開催され、50,000名が来場。期間中特別記念局8J1HAMを開設した。
8月28日 二条弼基氏(JG2BMVexJ20Z)が逝去。
8月30日 JA9IGYに2.4GHzのビーコンが免許された。
9月1日 空きコールサイン再使用開始。JE1から再使用されることとなった。また、免許が切れて6カ月以上たつと、既得の呼出符号がもらえなくなった。
10月1日 在日アメリカ人3名に相互免許により局の免許が与えられ、同日スペロニ氏(7J1AAA)、ステンソン氏(7J1AAB)がJARL会長原昌三氏(JA1AN)らと初の日米相互免許による交信を行った。
10月6日 JARL主催関東フォックステーリング大会が群馬県北軽井沢において選手約50名が参加して開催され、中国からも7名の代表団が来日、3選手が競技に参加し、好成績を残した。
10月25日 JA3IGYに5.6GHzのビーコンが免許された。
10月30日〜11月7日 スペースシャトル・コロンビアから、西ドイツの宇宙飛行士がDPφSLの呼出符号でアマチュア無線を運用した。
11月9日 WIAが創立75年を祝う。記念式典には、日本からJARL会長原昌三氏(JA1AN)ほか多数が出席した。
11月13日〜18日 IARU第3地域連合第6回総会が、ニュージーランドのオークランドで開催され、日本から代表団(団長JARL会長原昌三氏JA1AN他3名)が出席。ITU会議への積極的参加、次回WARCへの準備、アマチュア衛星の推進体制、7-1200MHzの各バンドプランなどを決定した。なお、中国が初めて代表団を派遣した。
11月15日〜12月20日 JARL会員増加運動が実施された。
12月7日 わが国のアマチュア無線の草分であり、JARLの理事長・法人化後は会長として長年アマチュア無線の発展に寄与された梶井謙一氏(JA1FG exJ3CC)が逝去。
昭和61年 1986年
1月7日 JARL中央局JA1RLより7MHz帯でCWおよびSSBによる、QTC電波の定時送信が開始された。
1月11日〜3月8日 第1回冬季アジア競技大会(札幌市・3月1日〜8日)を記念し、特別記念局8J8WASを開設、北海道各地を移動運用した。
1月10日 IARU発行の6大陸交信証(WAC)のルールが改正され、CW特記が新設されたほか、SSBはPhone特記として扱われることとなった。
1月11日 チリ大学宇宙研究センター所長のディアス氏(CE3GA)ほか3名がJARLを訪れ、JAS-1の分離確認について打合わせ、JARLから協力を要請した。
2月3日 元JAIA会長中野英男氏(トリオ相談役)が逝去。
2月12日〜24日 完成したJAS-1の通信系について、機能テストがNEC横浜事業場において行われた。
3月7日 JARL会員数137,114名。
4月1日 JARLの養成課程制度を改正、受付事務の委託など事務処理の合理化がはかられた。
4月7日 JARLがJAS-1完成報告会をNEC横浜事業場において行った。
4月19日 JAIA事務局が東京都豊島区巣鴨に移転した。
5月1日 わが国とドイツ連邦共和国(西ドイツ)との間に、相互免許が実施された。
5月17日 第18回世界電気通信日を記念し、特別記念局8J8ITU、8J9ITU、8JφITUを開設した(運用期間は5月10日〜5月l9日)。
5月23日 わが国初の29MHz帯におけるFMレピータJP1YEE(束京都小笠原村父島)が免許され、6月1日に運用が開始された。
5月25日 JARL第28回通常総会(ふくしま総会)が福島市の「福島県文化センター」において開催され、2,700名が出席。アマチュアバンド拡充、衛星利用の施策、60周年記念事業などが決定された。会長に原昌三氏(JA1AN)、副会長に田路嘉秀氏(JA3XZW)、井波眞氏(JA6AV)、専務理事に熊谷誠氏(JJ1WUC)が就任した。
>5月28日 長年アマチュア無線の普及・育成に尽した功績によりJARL会長原昌三氏(JA1AN)に藍綬褒章が贈られた。
6月1日 アマチュア衛星打上げに伴う免許手続きの整備、アマチュア衛星、コマンド局の電波法令上の明確化、養成課程の時間短縮などを含む省令が改正(養成課程時間短縮については、7月1日施行)された。
6月1日 JARL創立60周年記念アワードの発行が開始された。
6月1日〜30日 JARL創立60周年記念コンテストが開催された。
6月1日〜7月27日 日本標準時制定100年を記念し特別記念局8J3JSTを兵庫県明石市の「明石市立天文科学館」に開設した。
6月2日 東京都千代田区の「帝国ホテル」において、テレコム旬間記念中央式典が開催され、JARLは電気通信の普及・発展への功績により表彰を受けた。
6月8日 中国・蘇州市のBY4SZの開局式にJARL訪中団(団長JARL専務理事熊谷誠氏JJ1WUC他9名)が出席、機器などを贈呈した。また10月に開局予定の杭州市を訪問し機器を贈呈した。
6月18日 わが国の宇宙開発委員会がH-Iロケット(2段式)試験機を8月1日に打上げることを決定した。
6月20日 関東電気通信監理局により8J1JASの呼出符号を指定されたJAS-1の検査が実施された。
6月22日〜10月10日 JAS-1の打上げを記念し特別記念局8J6JASが種子島の宇宙センターにおいて開設し、9月1日からは鹿児島市の日赤鹿児島県支部で運用された。
6月23日 JAS-1が打上げのため、種子島に連搬され到着した。
7月1日 JARLの養成課程講習時間が短縮され、法規12時間、工学10時間(電話級標準コース)となった。
7月6日 JARL東海地方事務局開設20周年記念祝典が東海地方事務局で開催された。
7月12日 IARUラジオスポーツ・チャンピオンシップが改称され、第1回IARUHFチャンピオンシップが開催された。
7月18日〜19日 JAS-1打上げの推進役となった、小渕恵三(JI1KIT)、関谷勝嗣(JA5FHB)両代議士がJARL会長原昌三氏(JA1AN)とともに種子島における打上げ作業を視察した。
8月13日 当初8月1日に予定されていたH-Iロケット(2段式)試験機は(天候などによるロケット整備の都合により延期されていたが)、8月13日午前5時45分、JAS-1を搭載し種子島の大崎射場から打上げられ、午前6時47分チリで分離確認、同7時5分イギリスのサレー大学でもテレメトリーを受信。同7時38分東京都豊島区のJARL管制局でも受信に成功。JARLでは打上げ成功を記念し「ふじ」と命名した。なお、同日夕刻の第8周回目に関東電気通信監理局による検査が行われ、衛星を介しての実通試験が行われ、衛星に"8J1JAS"の免許が与えられ、同日よりアナログ中継器を使って一般の使用を開始した。
8月22日〜24日 '86アマチュア無線フェステイバル(第10回)が"地球をめぐる!"をキャッチフレーズに東京晴海の「東京国際貿易センター新館」において開催。
9月3日〜6日 ユーゴスラビアで開催された、第3回ARDF(アマチュア無線方位測定)世界大会に、JARLは初の選手団3名を派遣した。
9月10日 アマチュア衛星「ふじ」打ち上げ祝賀会をJARLが東京港区の青山ダイヤモンドホールにおいて開催し、三ッ林科学技術庁長官らが出席した。
11月8日 JARL創立60周年記念式典および祝賀パーティが東京都港区のホテルオークラで開催された。また、これに先立ち外国団体首脳との懇談会が東京都千代田区の全共連ビルで開催された。
11月12日〜17日 アマチユア無線行政管理者コース(ITU・郵政省・JARL共催)が東京都千代田区の日本都市センターにおいて行われた。
11月16日 カナダとの相互連用が発効した。
11月15日〜24日 民間放送35周年に特別記念局(8J1NAB)が連用された。
12月1日 省令改正によりアマチュア局の定期検査が行われないようになった。
12月28日 3.8MHz帯が5kHz拡大され、3,791〜3,805kHzになった。
昭和62年 1987年
1月20日 JARL沖縄連絡事務所が那覇市の高田ビルヘ移転
1月25日〜2月8日 JARLフォーンパッチ実状調査団が米国とカナダを訪問。
2月2日〜3月8日 WARC-HFBC開催、日本政府委員として原会長(JA1AN)出席。
2月8日 アマチュア衛星「ふじ」(JAS-1)がデジタル運用開始、6月21日にはメールボックス始動。
2月25日 オーストラリアとの相互運用が始まる。
4月1日 国家試験手数料などが改定され電信級、電話級は2,300円に。
5月15日 フランスとの相互運用が始まる。
5月31日 JARL第29回通常総会(びんご総会)が広島県福山市の「福山ニューキャッスルホテル」で開催され1,800名が出席、規則や選挙規程の一部が改正された。昭和51-61年の間の歴史をまとめた「アマチュア無線のあゆみ(続)」が刊行。
6月19日 ドイツのアマチュア無線組織創立60周年祝賀式典に原会長(JA1AN)が出席。
7月1日 JARLは「ふじアワード」を発行開始。JARL事務局の組織が改正され広報部を新設、その下に広報課、事業課を置き事業部を廃した。
7月9日 アマチュア衛星「ふじ」の完成祝賀会が東京青山のダイヤモンドホールで開催、郵政省やNASDAなどからも多数出席。
7月25日 女性のハム団体JLRS創立30周年記念パーティが開催された。
7月29日 「アマチュア無線の日、再開35周年記念祝賀会」が東京・青山のダイヤモンドホールで開催された。
8月8日〜20日 JARL第9次訪中団が北京、蘭州、敦煌などを訪間、アマチユア無線の講習や運用を行った。
8月21日〜23日 ハムフェア'87が「ハムニケーションしよう」をキャッチフレーズに東京・晴海で開催(11回目)、来場者は54,000人。
10月1日 JARLはアワード規程などを改正し「ADXA-HALF」を発行開始。
10月20日〜27日 テレコム'87がジュネーブで開催。IARUコーナーが開設されアマチュア衛星「ふじ」の模型も展示。
11月1日 第1回FOXテーリング全国大会(後援JARL等)が富士山山麓朝霧高原で開催。
11月7日 JI1KIT小渕恵三氏(国会アマチュア無線クラブ会長)が官房長官に。
11月26日 JARL第6次親善訪問団が台湾を訪れ、台湾では初めてのRTTYを運用。
昭和63年 1988年
1月1日 JARL制定のバンド使用区分のV・UHF帯などが一部改正され実施。
2月11日 JARL名誉会員櫻井一郎氏(JA3AF exJ3FZ)が逝去。
3月1日 JARLの標識電波JE5IGYが2425MHzで運用開始。
4月1日 JARLのバンド使用区分のHF帯が一部改正され実施に。
4月8日 JARLの原会長(JA1AN)が首相官邸に小測恵三官房長官(JI1KIT)を訪ね、アマチュア無線の現況を説明するとともに旧コール復活などを請願。
5月29日 JARL第30回通常総会(瀬戸大橋総会)が香川県香川郡(高松市郊外)の「マツノイパレス」で開催され2,000名が出席した。
6月1日 英文JARL NEWSが創刊、各国連盟などに送付されるようになる。
6月1日 旧コールサイン復活開始(平成元年5月31日まで)。
6月25日 フェーズVC(オスカー13)、アリアンロケットで打ち上げ成功。
7月3日 第2回FOXテーリング全国大会(後援JARLなど)が富士宮市の朝霧高原グリーンパークで開催。
7月15日 英国連盟RSGBが創立75周年をバーミンガムで祝う。
8月26日 WARC-ORBに井波副会長(JA6AV)が出席。
8月26日〜28日 ハムフェア'88が「好きです電波、行きます晴海」をキャッチフレーズに東京晴海で開催、来場者は57,000人。
9月7日〜10日 スイスのベアテンベルクでの第4回ARDF世界選手権大会にJARLの選手団が参加。
9月8日 中国の「中国科学普電子周」(エレクトロニクスショー)にJARL関係者が出席。
10月1日 第1,2級国家試験に多肢選択式を一部導入、翌年4月には全面的に採用。
10月10日 第7回IARU第3地域国際会議が韓国ソウル市において開催(〜14日)。
11月28日 元JARL事務局長岩本忠氏(JA1UM)が逝去。
12月22日 JARLと宇宙開発事業団(NASDA)がJAS-1bの打ち上げ協定結ぶ。
平成元年 1989年
1月1日 JARLのバンド使用区分のうちV・UHF帯が一部改正また2400MHz、10.4GHzが新たに制定され実施。
1月8日 元号が改元され平成元年となる。
4月1日 第1級,第2級アマチュア無線技士の国家試験において電気通信術の試験が音響受信のみになり施行。わが国で消費税がこの日から導入されたがJARLは出版刊行物関係以外は当面不転嫁とした。
5月19日 中国・南京で「中国・日本無線電測向友誼比奏(日中友好FOXテーリング大会)」が開催されJARL代表団が参加(〜20日)。
5月23日 フランスのニースで開催されたITUの全権委員会議に原JARL会長(JA1AN)が出席(〜6月30日)。
>5月28日 JARL第31回通常総会(おにっ娘総会)が北海道登別市の「登別市民会館」で開催され1,300名が出席した。
6月4日 京都市において「視覚障害者ハム誕生30周年記念式典」が開催。
6月28日 米国で結成された世界的な女性ハム組織YLRLがハワイで創立50周年の祝賀式典開催(〜30日)。
7月1日 WARC新バンドの18及び24MHz帯が開放され許可開始。
7月26日 JARL第7次訪台団が144〜1200MHz帯で日本と台湾の初交信に成功(〜31日)。
8月4日 よみうりアワードが20周年を迎え、読売新聞東京本社において記念式典を行う。
8月25日 ハムフェア'89が「夏だ、晴海だ、ハムフェア」をキャッチフレーズに東京.晴海で開催、来場者は58,000人。IARU会長や中国など外国から来賓多数が訪れる(〜27日)。
9月4日 フロリダでIARU第2地域総会開催。最終日はARRLが創立75周年祝う(〜8日)。
9月28日 JAS-1bの打ち上げを前に特別記念局8J6JBSが南種子町に開設。
10月3日 ジュネーブで開催されたITU-COM'89のIARUコーナーにJAS-1bの実物大模型を展示(〜8日)。
11月5日 JARL主催の'89FOXテーリング全国競技大会が東京郊外の西部遊園地で開催。昭和61年8月に打ち上げられたわが国の初のアマチュア衛星「ふじ」(JAS-1)が寿命により運用停止。
12月1日 JARL法人化30周年記念式典が東京のホテルオークラで開催。
12月8日 大石郵政大臣が東京霞ヶ関の郵政省アマチュア無線クラブを訪問、視察した。
平成2年 1990年
1月22日 マイクロサットA、b、C、DとUoSAT-D、Eがヨーロッパ字宙機構のロケットで打ち上げに成功。
1月31日 サンフランシスコ地震災害の実態調査団にJARLから有坂芳雄常任理事(JA1HQG)が参加、米国のアマチュア無線の非常通信の実態調査行う(〜2月9日)。
2月1日 WARC新バンド(10、18、24MHz)の開放を記念しJARLは「WARC'79アワード」を発行しこの日から受付開始。
2月7日 アマチュア衛星「ふじ2号」(JAS-1b)、H-Iロケットで打ち上げ成功。
2月18日 2400MHzのバンド使用区分のうちレピータの区分を改正し実施。