一人のアマチュア無線家としての思い・

>>別にJARLの将来なんかどうでもいいけどハムにまで悪影響を及ぼすのだけはやめて欲しい。。。
>大賛成です、特に、ハムにまで〜というところから後…
お気持ちも解りますが、やはりJARLとハムは表裏一体と思います、JARLがしっかり指導をすればこれほどハムの世界も乱れなかったと思います。
私は各理事にお聞きしたい、今の日本のハムの現状に付いて、どの様にお考えか。私は一度本気でJARLの内部と、各バンドの大掃除をするべきと思います。

 以前活発に議論された関西BBSの書き込みです。BBSはすでに閉鎖されていますが、いまだによく似た意見に触れることがあります。
 書き込まれた三人三様の表現はことのほかJARLに興味を抱いている方々の本音だと思いますが、JARL運営に対する厳しい意見に理事として無関心でいるわけにはいかず私なりの考えをこの機会に申し上げたいと思います。

 判っているならなぜやらないのだとさらに追い打ちを頂く覚悟であえてお話しすることも多くあると思います。
 これらの話は私が理事会に興味をもったきっかけをお話する機会でもあり、この大切な時期に信任を得て登場したはずの理事として、沈黙を続けることの責任を感じる理由でもあります。適切でない表現があるかもしれませんがご容赦いただきお付き合ください。

 その昔自動車の運転が出来るということは、修理が出来る人でした。貨物自動車には必ず助手がいて徒弟制度の中でみっちり修行した後、運転手になれる・・・。発展途上国の一部に今でも見られる光景ですが、今と異なる点は自動車が不安定な機械ではなくなったということです。時代は変わり車社会の現在、運転できることと修理できることは全く区別して考えても何ら支障がなくなりました。
 アメリカに行くと、杖をついて歩行もままならないように見えるお年寄りが、ひとたび車に乗ると矢のように走り去る光景にずいぶん出くわします。それを眺めながら、車は本当はこのような人にこそ役立つ道具でなければならないと改めて感じます。

 今から30年以上前になりますが、私は両腕と片足を感電事故で失った方に運転免許を取らせたことがあります。当時はなぜそんなことが可能なの?と不思議がられたものです。この話は本論ではありませんので別に譲りますが、車は歩くことが困難な人のためにこそ真価を発揮すると痛切に感じたのもその頃です。今のように障害をお持ちの方が自由に運転することが認められなかったころのお話です。

 前置きが長くなりました。アマチュア無線に話を戻します。JARLは過去から力強いリーダーシップのもと「数は力だ!」の論理を推進しアマチュア無線局の増加にがむしゃらに取り組んできました。
 1959(昭和34)年4月に始まった電信、電話級の国試は初級とは言いながら相当難しい試験で、そのころ中学生位でこの試験に合格すれば地元新聞は天才ラジオ少年のように扱い記事となったものです。その天才少年を多く抱えていたのがJARLそのものでした。この初級制度ができるまでわずか9千人程度だったアマチュア人口が3万人を越したのは、それから3年後、1962(昭和37)年のことでした。

 初級ながら記述式の国家試験であった電信、電話級アマチュア無線技士が大きく様変わりを見せるのは、1966(昭和41)年3月養成過程講習会が始まったことに端を発します。それまで年間1万人弱程度のアマチュア人口増加が、これを境にして毎年10万人の大台に達するようになりました。
 その昔の運転助手のように有資格者の門を叩き教えを乞いながら免許を取得したように、アマチュアがOMからビギナーへ文化を伝える良き慣習がこのとき終わりを告げたことを意味しました。それと同時に最も大切であったはずのアマチュア無線の理念が置き去りにされる前兆となった最初の時代でもありました。
 キング・オブ・ホビーと誇らしげに語れたアマチュア無線が、産業や政治と密接な関係を保ち、そのバランスの枠組みの中で成り立つ「構造」が生まれた時代です。

 各地では多くのアマチュア無線技士養成講座が開講され、列強の仲間入りを目指した明治からの日本のように富国強兵時代を髣髴させるようなアマチュアの増加政策は、今から思い起こすと「生めよ増やせよ」の掛け声のように聞こえます。
 このときに並行して行わなければならなかった「教育」に手抜きがあったのではないかと多くの指摘を受けることになりました。このところ話題になる「子育て放棄の親」のように、生むことをしても育てることを忘れた顛末といえるのでないかと思えます。

 その後もアマチュア人口の爆発的な増加は、限りなく裾野を広げながらともすれば限りなくクオリティーを落としながら数の論理である増加という目標に加速度的に押し流されてしまいました。
 兵庫県に位置する私にとって講習会の思い出は、醜い欲望と多くの問題をはらんだものでもありました。特にJARL兵庫県支部長時代2年間に受けたこれらの洗礼は、アマチュア無線を失望のどん底に陥れる思い出しか残っていないことは言いようのない残念な事実です。こんな状況ではアマチュア無線が滅びる! ─そんな思いの中に当時居たことを、いま思い出しています。
 時を同じくして、その頃から社会現象として問題となったシチズンバンドで違法や不法の無線局を開局する人たちを、唯一合法的な安全地帯に収容するために注目されたのがアマチュア無線でした。このニーズと講習会は見事に思惑を一致させ「数は力!」を推進する絶好のパートナーになりました。

 すそ野開拓に力を入れた講習会は、このような環境の中で活況を呈し多くの仲間を作りました。事実この時代の人たちの中から今もアマチュア無線界のリーダー的な役割を果たす人も出しましたが、その反対に容認できない人たちをそれ以上迎え入れたのも事実です。
 私が勝手に名づけた電波難民(無線の楽しさを知る仲間と言う概念で‥)と言える人たちに非合法から合法的な移動を容易にしたJARLの英断が、その後の手立てのまずさでアマチュアバンドの混乱を招いたことは否定できません。
 しかしながらこの数が、メーカーの開発を促進させ、出版社を育成しさらにJARL組織を潤わせ豊かさを誇示しながら会員もどっぷりとこの恩恵に浸っていたと言えましょう。
 これらの現象は時代の求めに敏感なJARLの思惑と見事に一致したことから「数の論理」は一層、確実な正義に置き換わる役割を果たしました。

 1年間に数千人が増加したそれまでのアマチュア無線界は、その後年間10万人ずつその数を増しました。しかしこの人数と連動するような周波数資源も無いままいつしかアマチュアバンドというスペースは安らぎの広場ではなく、ともすれば争いの広場に変わることもありました。
 この時点で曲がりなりにも申し送られてきた先人達の基本に忠実な運用の教えは、新しい理屈に覆われ、新人類と言われるほど異質なアマチュアに占拠されるような形になったことは大方が認める見解ではないでしょうか。

 これらを即、悪と決め付けるつもりはありませんがそれまで、一宿一飯の恩義と礼節を重んじたアマチュアの文化がルールごと参入してきた歴史を重んじない人たちの出現により一線を画さねばならないようになってしまいました。正に「悪貨は良貨を駆逐する」というケインズの経済法則のごとく、その結果として優秀な天才ラジオ少年を含めた善良な会員の多くが失望してJARLを去る現象が起こりました。育てることに熱心でなかった結果が招いたものといえるでしょう。

 一つの事例ですが、私が所属する総務省関係の協議会があります。この会は通信関連企業のほとんどが参加しておりその中にかなり多くのアマチュア無線家がいます。彼らはアマチュア無線を経験してその企業で活躍するきっかけとした人たちですが、その人たちがアマチュア無線をやっていると言いたがらないという事実です。相当親しくなった時に恥ずかしそうに「いや、実は私もアマチュア無線をやっていましてね!」という話になることが多いところに今のアマチュア無線が置かれている状況を表しているような気がします。

 阪神大震災時には、もっとすさまじい経験をしました。当時兵庫県支部長以下役員や多くの有志は被災地を駆け巡りJAIAから提供されたハンディー機300台を有効に活用するために多くの行政機関とも接触しました。しかし反応は冷たく「そんなものは要らない。迷惑だ!」と言った市の担当者をはじめ多くの避難所でいぶかしい眼で見られたことがありました。
 非常通信どころか、社会に全く認められていないアマチュア無線の実態に驚愕した実体験です。こんな状況の中で、唯一頼りであった生駒山のJARL直轄レピーターは、連日卑猥な言葉を投げかける非常識極まりない通信が行われ、神戸の町がまだくすぶっている間でも絶えることがない破廉恥な通信は、情けなさを通り過ぎた怒りに変わりました。
 被災地のなかで取材に来る報道陣や、部外者に出会うたびに無線機のボリュームを下げなければならない現状を思い浮かべれば自慢できないアマチュア無線の実態が浮かび上がります。心無い人たちの運用で、どれだけアマチュア無線の夢が打ち砕かれてきたのでしょうか。
 しかしこれらは、個人の問題であり組織の問題ではないと言う説明がJARLの基本的な考えでした。この考えに大きな過ちがあったと思います。震災時の経緯は別の記録として残っていますので興味をお持ちの方は是非ご覧ください。

 JARLは不思議な組織形態です。会員増加のメカニズムは毎年6万人が入会して5万人が退会し、その残った人たちが薄い層を形成し積層しながら巨大になってきました。
 しかし永続性のある会員層より退会する会員が圧倒的な数に達し、その在席周期は僅か1年、長くて3年最も長いもので局免の期限内である5年で消滅すると言うスクロールを繰り返してきた奇妙な構図となっています。
 それが今、2万人が入会し3万人が退会しながら会員減少を限りなく続けている、逆ザヤに変わったことになります。このメカニズムに会員の多くは気づいていません。ここにJARL独自の組織が形成された背景があり、独特の論理がまかり通るような状況を生んできました。
 今になって組織が活性化しなくなったのもこのシステムに手を加えることができなっかたといえるのではないでしょうか。JARL選挙制度など多くの問題も例外なくこの背景によるものだと指摘する声もあります。

 アマチュア無線は誇らしい趣味です。明確な理念によって先人達が地球的規模で築き上げた文化です。端的に言えばそれが今守れなくなったことに起因する苦悩の中におり、ある程度わかっている筈の原因を突きとめる努力をしないところが最も大きな問題となっています。
 数は力だと豪語してきた論理の正当性は「このお陰で世界一優秀な無線機を世界一安く手に入れることができるのだ」の論理に摩り替えられアマチュア無線のバブル版のような印象を与えてきました。

 バブルに浮かれた時代が日本の中にあったように、JARLも例外なく、この構造の中に位置し恩恵に浴していた感は歪めません。そのバブルに終わりを告げようとした頃から「だれがこんな滅茶苦茶なアマチュア無線を作ったのだ」と罵りあう場面に移ってしまったのです。
 今になってみれば、少しばかりの軋轢を跳ね除け敢然とこの問題に立ち向かえば十数万人の英知で苦境を乗り越えたと思いますがすでにその時期さえも過ぎ去り大変厳しい状況を迎えました。

 さて、核心部分を明確にしなければなりません。JARLの一番の問題は、この状況に至っても会員にもたらされる情報が乏しいということが一層不要な猜疑心を増幅させ、混乱を増長させているように思えてなりません。
 人も組織も安定期ばかりを過ごせるものではありません。これだけ困窮すれ7万人の会員にその苦しみを訴え知恵を求めるべきだと思います。アマチュア無線をこよなく愛し善良な会員は必ず協力してくれるはずです。そのためには現状を正直に報告し頭をさげる謙虚さが必要なのではないでしょうか。今の会員の不満はこのような手順を感じさせない不信感からくる苦言だと私は思っています。

 アマチュア無線には覆せない歴史と血の出るような先人の英知があります。100年ほど前に登場したモールス符号は革命的な通信手段の担い手になりました。そのモールスもやがて試験から廃止され、アマチュア無線家だけが伝承する通信手段になってしまいました。
 これらの文化を守りつづけようとする努力は大切ですが、一方進化するメディアや技術はアマチュアらしく受け入れ取り入れるべきです。新しいものを嫌う傾向がJARLには根強い印象を与えています。

 事実JARLが新しい試みに挑戦するときは必ず何らかの軋轢を生じさせてきました。私たちが提唱し今JARLの事業となっているe-mail転送サービスを採用するときにも、信じられない方向から矢が飛んできたことがあります。ごく限られた人たちが知る事実ですが、アマチュアコードにあるように「進歩的であること!」を率先して取り入れる姿勢を忘れてはなりません。

 冒頭に唐突な自動車の話をいたしました。クルマ社会とアマチュア無線を対比させるのは乱暴かもしれませんが、マルコニーと同じく100年ほどの間に自動車は、それこそ人類の知恵を結集させ改良を重ねながら進化を続けてきました。
 自動車が構造を理解できなくても容易に扱える乗り物に変わったように、アマチュア無線も半田ごてが扱えなくても十分に楽しめるようになりました。
 自動車に取り組んできた多くの人たちの努力は、ただ安定的に走らせる乗り物から人に優しいクルマ作りに変わり、内燃機関としてはこれ以上の進化は今後は望めないだろうと言われるくらい飛躍的な完成度を遂げています。このような現状であっても今なお飽くなき追求が行われていることは何と言ってもクルマが人とかかわることから起こる様々な問題への誠実な取り組みです。

 一方アマチュア無線はどうでしょうか。「数は力だ!」と進められてきたJARL運営は、わが国唯一のアマチュア無線の権益を護る活動であるとのおごりがあったのでしょうか、さしたるビジョンを掲げないまま、取り巻く環境は著しく変化してしまいました。気がつくと世はインターネット華やかりし状況で、最新アマチュア機器に搭載されたコンピュータ類の進化とは相反し、変わらないことを自慢するように停滞を続けています。
 そして会員事業であると言う最も基本的なコンセプトを見出せないまま守るべき対象も明確にできず苦悩を続けています。JARLが現在の著しい環境変化に対応できる力を無くしたのではないかといわれているのもこの印象を強く抱かせるからです。JARLが敏感に反応し、対応したのは政治の動向であり、アマチュア世論の動向でなかったのではないかと思えるのです。

 単なる機械であったはずの自動車が人とのかかわりを強く意識して進化しているのに対し、人こそが根底であるはずのアマチュア無線がなぜ人の存在に関しあまりにも無神経になってしまったのでしょうか。会員の存在に無頓着になってしまったのでしょうか。
 JARLが進める小さな政府といわれるリストラは、職員の削減、地方事務局の閉鎖、サービスの縮小などが主題になりました。組織は理念と志を掲げてそれに向かって邁進すれば自ずからその形態は定まるものです。現在の財政縮小をベースにした組織の手直しが評判が悪いのは条文の文言を置き換えることにエネルギーを費しながら精神に及ぶ議論がないことで、理念が示されていないことを感じる多くの会員の不安から起こっていることです。
 評議員会に出た「仏つくって魂入れず!」ではないかという意見に集約されていると思っています。予算を切り詰めながらがむしゃらにリストラを進める現状になぜ豊かなときに蓄えを生かして組織を活性化させなかったのか、と厳しい声が聞こえるのは当然だと思っています。


 自動車は競争原理の中でその時代の「人」を介在させながら進化してきました。健常者よりむしろ障害をもった方々に必要なものを挙げろといえばまず自動車を思い浮かべるくらい社会の認識も得られています。このように世界との競合にさらされながら工夫を重ね進化してきたのが日本の自動車業界でしたが、この時期でも次なる手立てを実行する意欲が感じられます。

 このような状況の中で競争論理を必要としないアマチュア無線団体であったJARLは、その特殊な立場から国際ルールよりも国内だけに通じるまさにローカルルールの構築に徹してきました。
 無線機メーカーが世界の競争原理の中にいたことなど意識せずにただ数の増加を夢見、守りの姿勢を続けてきたと言えます。
 平等を原則にしたアマチュア無線の開放は、子供達にも女性にも熟年者や目や耳の不自由な方にもすべてその恩恵を与えてきました。このように平等に開放されたアマチュア無線が、多くの努力を重ねながら逆に社会から認知されなくなったかを考えるときJARLが推し進めてきた施策に何らかの問題があるということが判ります。
 この原因をしっかり把握し謙虚に反省を加えながら対策を講じなければJARLの今後の発展はおろか存続さえも脅かされます。今こそ、JARLはその構造的矛盾を払拭させるために行動を起こさねばなりません。

 理事会はこのような基本的な理念の上に議論を積み重ねていると思っておりましたが、必ずしもそうではありません。今からこの議論を始めようとしても私の思惑とは異なる結果を生じることは間違いありません。そのために今後は会員の多くがより一層理事会やJARL運営に興味を抱き、賢明な判断をくだし適切な選択をしていただけないかと切望します。そのためには多くの正確な情報を提供し、JARL改革を成し遂げる必要を痛感しています。

いま新しい法人改革の法律が国会を通過し、粛々とその制度に照らし合わせた改革が行われています。JARLその改革に照準をあわせて検討を加えていますが、公益法人たる要件を満たす最低限の課題のクリアーに苦悩しています。
 今後の理事の責任はJARL発足依頼最高レベルに達すると思います。
 平成19年5月の通常総会そして翌年の高知総会でJARLは新しい組織に生まれ変わる決め事が実行されます。私は実行の伴わないJARL批判だけでは何も改善されないということを経験の中から申しあげ、ここ数年関西の有志の取り組として行ってきた批判よりもとにかく行動!を基本としてきました。
今後もアマチュアとして「志」と「文化」の伝承を目指す取り組みを果たして行きたいと考えています。

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