アマチュア無線の理想と現実

 あくまで趣味以外の何物でもないアマチュア無線で遊ぶことを法律的用語で「アマチュア業務に従事する」といいます。
最近賑やかになったお隣り中国のアマチュア無線界は、それまでこれらの概念がない解放後の中国に、日本から多くのアマチュア無線家が支援をして「業余電台」というアマチュア無線制度を誕生させ現在に至っています。文字から連想するとおり「仕事の余暇で行う無線局」となり、中国流のうまい翻訳で良く理解できます。
一方、日本の現状はどうでしょうか・・・日本でアマチュア無線をやることを「アマチュア業務」を行うと言いましたが、無線に無関係の人には業務とは・・と、意外に感じるかも知れませんが、長い間この遊びを続けていると何の違和感も抱かなくなってしまいます。
違和感を抱かない理由の一つに、法律で明確に定義づけられているこの言葉をむしろ誇りに感じることや、選ばれた者しかできない特権意識があるのかもしれません。

 この意識はもちろん悪いことではありませんが、アマチュア無線の特徴とも言える先進性と創造性は、単なる特権階級のような意識構造とは本来共存できないものです。守らなければならない法律が厳然と存在するなかで、一方では守るだけでは決して進歩しない科学技術の現状があり、法律遵守と限りない創造欲との狭間で時として矛盾した営みを続けなければならない宿命にある現状が浮かび上がります。
 アマチュア無線家はこれらを実に上手く使い分け、自然にこの意識が定着し、最近のアマチュア無線内部に新しい風土が生まれるきっかけともなりました。
 何時の世も変わらず同じ趣味の中でも抱く意識によって今まで起こらなかった軋轢が生まれるのも事実です。わずかな意識の差が引き起こす価値観の異なる集団は、時として社会からいびつに見えるアマチュア無線の姿として浮かび上がっています。

 古い時代の通信の約束事から派生した電波法が、予想もしなかったテクノロジーの進化の中で、法律の改正より早く進んでいきました。現状に合わせるためにつぎはぎだらけの印象を持つ電波法ですが、今日それなりに対応してきたことは、これらに係る人たちの努力と優秀な対応があったことは事実です。
何と言おうがアマチュア無線は紛れもなく、この電波法の中にきちんと位置づけられいかに時代が変わっても、意識が変わっても、電波の運用という世界ルールの中に存在しています。

 大正14年秋に、神戸と大阪の間で日本で初めてアマチュア無線による交信ができた当時は、何をもってこの無線局に根拠を与え認知するかは大きな問題でした。「私設無線電信局」という概念は、例外なく業務無線を無理矢理現状に置き換えてその存在を認めたと言えるでしょう。これが今のアマチュア無線をそれまで考えもつかなかった概念の「アマチュアという業務」を行うという法律解釈によって納めたものです。
 私たちが選ばれた者の意識を持つのも、今は死語のようになってしまった「キングオブホビー」という誇りも業務用通信の概念からでたもので、違和感を抱かない世代に比べ、この壁がアマチュア無線を面倒な遊びと考える人たちの発想につながっているともいえます。

 善し悪しの議論はさておきアマチュア無線を始めるにあたって、アマチュア無線とは何か?を説明しなければなりませんが、これには明確な答えがあります。「金銭上の利益のためでなく、もっぱら個人的な無線技術の興味によって行う自己訓練、通信及び技術的研究の業務をいう」と電波法に定められいます。では無線通信とは何かといえば「電波を使用して行うすべての種類の記号、信号、文言、映像、音響又は、情報の送信、発射又は受信」をすることであり、大正14年には考えもしなかったことが多く含まれているのですから複雑な現代的課題が次々と発生するわけです。

 予測もつかないくらい進歩する通信技術は、そもそも限りない探求心による自由な技術研究と通信を行うアマチュア無線家にとって興味深いもので、この精神を実践すると電波というだ題材の実験を行うことはすでに細かい取り決めのある法律の枠内で納めることは至難の業です。
 しかも電波法はアマチュアのために作られたものではなく、生まれてきたから収まりどころによい法律の枠内にあてはめたもので、矛盾が生じるとすれな矛盾を修正しないまま現在に至っている訳ですから根深い問題であるともいえます。しかしハッキリ言えるのは大正デモクラシーの流れをくむのか当時の逓信省の役人は実に進取の気鋭に満ちあふれ当時としては温かい道をアマチュア無線に与えてこれたことは感謝に値します
。電波法の中でアマチュア的な矛盾や課題がどこにあるのか、これらについては別の機会で大いに議論するとして今風のアマチュア無線会を眺めてみましょう。

 いささか話を脱線させるかも知れませんが、ローカルルールが好きな日本人の性質かも知れませんが過去から現在まで法律違反を一番犯したのはアマチュア無線家だというと叱られるでしょうか。この例は枚挙にいとまありませんが、ここにアマチュア無線の特性があり、電子立国の礎を築いたことも皮肉ながら枠にとらわれないこの意識があったのは事実でしょう。
 アマチュア無線を趣味に選ぶ限り法律は守らなければなりませんが「個人的な無線技術の興味によって行う自己訓練、通信及び技術的研究の業務」は本来法律で律するよりもあくまで自己を顧みる為の教えであると理解すれば良いのかも知れません。
しかし、アマチュア無線による技術探訪はあまり好きでないが、矛盾する電波法の一部をヒステリックに唱える人がいかに多いか・・・自己研鑽であるアマチュア無線を他人を律する小道具にしか使わない意識も多く発生し不協和音の種になっているのも事実です。
 アマチュア無線無線家は夢を追いかける人たちであることに違いありませんが単に理想卿を作ろうとしたのではありません。電波という魅力的な素材にとりつかれた情熱主義者であるいみ不思議な人たちだったのです。

 スピード違反をしたことがないというドライバーはおそらく存在しないと思いますが、道路交通法第1条の精神をもってしてもスピードは守れない場合もあり、この精神を遵守するために守れないのであれば法律論争の範疇を越える議論になります。
好意で乗せて貰った車がスピードオーバーをしたとき、助手席のあなたが運転手を告発するのが正しいか、警察に通報するのが正しいかなど通常真面目に議論されないものです。
 アマチュア無線が自己を律する立派な趣味だと自慢できた時代が大きく変貌し、すでに猜疑心を抱かせる嫌な雰囲気を醸し出している背景に電波法の角を論じることにあります。
本音と建て前のアマチュア無線を単なる理想論だけではなく、現実と未来を今の私たちがどうつなぐかを最大の課題だと考える時期だと思います。


それでもアマチュア無線の意義と歴史をお話ししましょう

アマチュア無線と社会的背景を現時点で考察すると

アマチュア無線は電波を使った趣味です。現代社会の中で電波が果たす役割は重要であり、その例を挙げるまでもありません。重要さを説明するたとえとしてよくあげられるように電波は限りある資源であり、しかも電波はその特性上多くの約束事を決めなければうまく使うことができない性質があります。
このため、ある範囲の周波数を使う無線局の数は制限され、周波数によって伝搬の仕方が異なることから目的に応じた周波数や電波形式を使う必要があります。国際のラジオ放送に使う周波数と、テレビ放送を行う周波数は全く異なるものです。

このため過去から例外なく、国益と公共の利益に合致するために、国家が国民の財産である電波を管理しそれを配分しています。また電波に国境がないことから、国際的な通信の取り決めをするために国際通信連合(ITU=International Telecommunication Union)を組織し、国際的に秩序ある電波の使用を行っています。
日本に限らず先進国では電波資源を社会的需要がはるかに越え、電波の割り当てを受けるのは容易ではなく、かろうじてその需要を満たしているのは智恵とテクノロジーの進歩に頼っているのが実情です。増産できない周波数の中に多くの無線局を収容するには技術進歩しかありません。

このような情勢のなかで、アマチュア無線を趣味に選んだ我々にはこんな貴重な資源である電波を、スポットではなくバンド帯として使う権利を与えられています。その理由がまさに歴史にとってその権利をあたえられており当然これに裏付けられた義務を負わなければなりません。
アマチュアバンド(周波数帯)が一般の業務通信に比べ広いのは先に述べた歴史にあるのですが、今は安泰の時代ではなくこのアマチュアバンドは他の業務通信から狙われているというのが実情です。人通りの多い目抜き通りに、ろくに使われない空き地があることなどあり得ないと考える時代ですからこの防衛は厳しいものです。事実過去には、144MHz帯を含めバンドの一部が他の業務無線のために取り上げられた事実からも、アマチュア無線がいかなる形にせよ社会に役立つものであることを示さなければやがてアマチュア無線そのものの存在すら忘れられることを認識しなければなりません。

古い話しに戻しますが・・マクスウェル(Maxwell)といえば電波の存在を理論的に説いた人ですが、その後ヘルツ博士(Hertz)によってその存在が実証されたのが19世紀の後半で、今からわずか百数十年前のことでしかありません。周波数の単位をヘルツと呼ぶのも、マクスウェルの電磁法則の名称もこの功績によるものです。
そしてヘルツの実験に刺激されたマルコーニ(Marconi)が百年ほど前に、長波を使った無線による大西洋横断通信を成功させたのは有名な話です。。
この成功に刺激されアマチュア無線家を含め商業通信の未来に思いをはせた多くの人が電波を使用しはじめ、混信の問題が発生してきました。この結果1912年に法律が制定され、アメリカのアマチュア無線家は、当時全く遠距離には伝わらず商業通信に影響がないと考えられた1.5MHz以上の電波しか使用できないこととなりました。

この中でアマチュア無線家は多くの実験を重ね、当時その存在さえ知られていなかった電離層が小電力の短波通信でも遠距離に届くことを実証しました。短波が実用にたえるということを証明し社会に大きな貢献をしたのがアマチュア無線家でした。
アマチュア無線に多くの周波数が割り当てられる背景がここにあり開拓者功労が認められたわけです。当時のアマチュア無線家は、電波の断続により文字が伝達できるモールス電信によって交信をしており、このモールスによるCWという通信形式はアマチュア無線の原点となっています。

長波全盛の時代に、商業通信の片隅とも言える短波に疎開を命じられたアマチュア無線家は、実に様々な難問を解決する必要がありました。なにしろ未知の世界へ旅立つ過酷な環境の中で、当時のアマチュア無線家たちは、不屈の精神で実験に取り組み、技術的パイオニアとしての徐々に地位を確立していきました。
その後もアマチュア無線家たちはたゆまず新しい通信システムの開発・使用に積極的に取り組み、伝搬の性質が未知であった超短波、超短波の実験も精力的に行い、新技術の確立と電波伝搬上の新発見を通じて技術的なパイオニアとして社会的に認められてきました。
このように、アマチュア無線は人々の技術的探求心をかき立てると共に、多くの人々に技術に対する関心を呼び起こし、結果として多数の職業的な技術者を生みだした功績も忘れることができません。
我が国の戦後の電子技術立国の中心として活躍した有能な技術者のすべてといって良いほどアマチュア無線によってこの限りないチャレンジの道を歩んだことは興味深いことです。

その後、アマチュア無線は通信インフラの一部として、災害通信や地域の通信として活躍してきました。「日本アマチュア無線連盟」JARL(Japan Amateur Redio League)や、「アメリカ無線中継連盟」ARRL(American Radio Relay League)が組織され今日に至っていますが、その発祥の歴史はアメリカに原点があり、JARLも多くをARRLから学んでします。
アメリカでは、アマチュア無線は公共通信としての役割を担い、社会的通信インフラの一部として社会貢献しています。日本ではアマチュア無線の活躍によって人名が救われ、あるいは災害時に貴重な公共通信路を確保したことなどが、新聞に多く報道されています。特に1995年に発生した阪神淡路大震災では延べ1万人を越えるアマチュア無線家が45日に及ぶ生活支援通信を行った事実からもアマチュア無線の功績は語り継がれる価値があります。
このようにアマチュア無線の先人たちが社会に大きな貢献をした結果、我々は現在の周波数の割り当てや数多くの恩恵を得ていることの意義を考えることが大切です。

しかし、現在では産業界の技術水準が当然ながら一般のアマチュア無線家を遥かに上回り、また通信インフラの完備によって、災害時にアマチュア無線が活躍する余地が少なくなったように感じられます。我々を取り巻く情勢は変わりましたが、アマチュア無線が社会にどう貢献できるかということについて、なお真剣に考え直さなければなりません。これらを怠ると、社会が我々アマチュア無線の存在価値を認めなくなり、現状の恩恵は長く続かないかも知れません。
アマチュア無線が模索する道は多くあるようですが、電波の不思議をテーマに青少年に科学技術に対する関心や好奇心を抱かせることも必要です。アマチュア無線をやっていなければ、決して出会うことがなかったであろう友人を作ることや外国の未知の人たちと電波を通じて直接話しをするということは、アマチュア無線の最も得意とすることです。

戦前の我が国のアマチュア無線は、商業実験局も含めた、「私設無線電信無線電話実験局」として扱われ、我々の先人は、今日の時代からは想像もつかない窮屈な規制を受けながら、アマチュア無線活動を続けていました。当時の呼出符号は、J2AAなど今とは異なる構成となっていました。
太平洋戦争の勃発と同時にアマチュア無線は全面禁止となりましたが、戦後1950年に公布された「電波法」によって、我が国のアマチュア無線も、国際的なルールにそって免許を与えられるようになり、翌年無線従事者の国家試験が行われ、100人を越える1級、2級アマチュア無線技師が誕生しました。
しかしながら、無線局の免許は1952年に至るまで発行されませんでした。新しい呼出符号はJA1〜JA8で、今の信越地区はJA1WA以降、北陸地区はJA2WAから割り当てられるもので今日とは異なります。
その後、信越はJA0、北陸はJA9となりました。
ご承知の通り各エリアの人口差は大きく、関東エリアでは早々と2文字コールがなくなりAAAから始まる地区で3桁となりましたが、いつも間にかコールサインが無線局の識別のものから個人固有のものとして考える人が多くなり、その後の制度議論でも影響を与えています。

当初は1アマと2アマの2本立てであったアマチュア無線は1958年に1アマ、2アマ、電信、電話の4つに分けられ、2アマにも電信が求められるようになりました。さらに、1990年に制度改訂が行われ現在はアマチュア無線から電信の是非論に進み制度は大きく変わろうとしています。